1コリント 6章
主は体のためにおられるのです。 コリントの信徒への手紙一 6章13節
主は体のために
1コリント 7章
妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。 コリントの信徒への手紙一 7章4節
一つの体として
この聖句は、互いが互いを奴隷のように従属させることを教えているのではありません。これは、互いがそれほどまでに「一つの体」(エフェ5章31節)であり、かけがえのない存在であることを示しています。 現実的に…
1コリント 8章
偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。 コリントの信徒への手紙一 8章1節
知識と愛
キリスト教信仰で、失われてはならないものは何でしょう。「神を知ること」。これに優るものはないでしょう。これなしに私たちの人生は空しく、その足もとの道を照らすものもないからです。 「偶像に供えられた肉」…
1コリント 9章
福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。 コリントの信徒への手紙一 9章23節
福音のためなら
パウロはここで、律法の下にあるユダヤ人、律法をもたない異邦人、教会内の弱い人に対する、キリスト者の自由の用い方について語ります。 キリスト者は、律法を完全に実行されたキリストのおかげで律法の支配から解…
ヨハネ 21章1-19節
ペトロは、イエスが3度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。…イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」 ヨハネによる福音書 21章17節
使命の回復
復活の主は、ガリラヤ湖畔に現れ、炭火をおこし、魚とパンの食卓を整え、弟子たちを招かれました。食事が終わると、ペトロに「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われましたが、決して…
1コリント 10章
いや、わたしが言おうとしているのは、偶像に献げる供え物は、神ではなく悪霊に献げている、という点なのです。わたしは、あなたがたに悪霊の仲間になってほしくありません。…主の食卓と悪霊の食卓の両方に着くことはできません。 コリントの信徒への手紙一 10章20節~21節
悪霊の仲間にならず
8章で偶像に供えられた肉のことが語られ、10章では偶像礼拝に対する警告が語られます。コリント教会に、偶像の神などいないのだから供え物の肉を食べても汚れることはないと言って、偶像の神殿で偶像を礼拝する食卓…
1コリント 11章
従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。 コリントの信徒への手紙一 11章27節~29節
自分をよく確かめたうえで
貧しい者への愛と配慮の欠如によって、コリント教会の主の晩餐は混乱していました。パウロは、主の体をわきまえずに飲み食いしてはならないと語ります。 聖餐において、「自分をよく確かめたうえで」という御言葉が…
1コリント 12章
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 コリントの信徒への手紙一 12章26節~27節
教会に生きる喜び
救われた最初の頃、関心の大部分は、自分の救いに関することでした。しかし、信仰生活が進むにつれ、家庭、仕事、世界と将来のことなど、どれも教会を抜きにしては考えられなくなりました。 教会は聖霊の賜物によっ…
1コリント 13章
たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。 コリントの信徒への手紙一 13章2節~3節
愛によって賜物を用いる
12章で、種々の賜物はキリストの体を建て上げるためのものであることが教えられました。13章では、それがどんなに優れた賜物であっても愛を伴わなければ無に等しいと教えられます。 いつの世でも、財産を貧しい人に…
1コリント 14章
愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。 コリントの信徒への手紙一 14章1節
預言の賜物を求めなさい
コリント教会の混乱の要因の一つに、異言の問題がありました。異言によって集会が無秩序になったり、異言を語れる人が高慢になり、異言を語れない人を軽蔑することが起こっていたのです。 異言は、理性によって理解…
1コリント 15章
キリストはすべての敵を御自分の足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。最後の敵として、死が滅ぼされます。 コリントの信徒への手紙一 15章25節~26節
死を滅ぼすキリスト
いつの世でも、死は人間にとって解決不能の最大の問題です。愛する人の死ばかりでなく、自分にも必ず訪れる死という現実の前に、人間は無力です。 死を前にして絶望するしかない私たちに、主キリストの御言葉の光が…
ヨハネ 22-30節
すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」イエスは答えられた。「…しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。」 ヨハネによる福音書 10章24節~26節
あなたはわたしの羊なのか
「あなたはメシアなのか」という質問に対し、主イエスは、わたしがメシアであるのかどうかを問う前に、あなたがたは何者なのか、わたしの羊なのか、そうでないのかと、問い返されています。そして「わたしが父の名…
1コリント 16章
マラナ・タ
(主よ、来てください)。 コリントの信徒への手紙一 16章22節
主よ、来てください
「マラナ・タ(主よ、来てください)」は初代教会のユダヤ人たちの祈りの言葉です。そのままアラム語で聖書に保存されました。キリストの再臨による世の終わり、究極的な救いを待ち望む祈りです。 主キリストの十字…
詩編 47編
すべての民よ、手を打ち鳴らせ。
神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。 詩編 47編2節
手を打ち鳴らして歌う
「ジュネーブ詩編歌」をCD化した「バッハ・コレギウム・ジャパン」の賛美で、心に残る賛美の一つと言われるのがこれです。歌い方にも理由がありますが、荘重で静かな印象のある詩編歌の中では、珍しいぐらいに動的…
詩編 48編
城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ。
後の代に語り伝えよ
この神は世々限りなくわたしたちの神
死を越えて、わたしたちを導いて行かれる、と。 詩編 48編14節~15節
神の都の城壁とは
イスラエル周辺の諸民族は考えていました。ずっと北に万年雪で覆われているものすごく高い山があり、雲も突き抜けるその山こそ、神の世界につながる天界の入口だと。 ところが、この詩編の作者は、そうではなくエル…
詩編 49編
陰府に置かれた羊の群れ
死が彼らを飼う。
朝になれば正しい人がその上を踏んで行き
誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。
しかし、神はわたしの魂を贖い
陰府の手から取り上げてくださる。 詩編 49編15節~16節
人を真に贖うのは神
この詩編は、4節に「わたしの口は知恵を語り、わたしの心は英知を思う」と言っていますから、「知恵の詩編」とでも呼ぶと良いのでしょう。 しかし、この詩編が全体的に暗く、否定的に聞こえるのは、人間の死を取り…
詩編 50編
「告白を神へのいけにえとしてささげ
いと高き神に満願の献げ物をせよ。
それから、わたしを呼ぶがよい。
苦難の日、わたしはお前を救おう。
そのことによって
お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」 詩編 50編14節~15節
形式ではなく心から
49編は知恵文学のようでしたが、50編は「説教」を思わせる雰囲気を持っています。詩編は賛美であると同時に、祈りであったり、教訓であったり、説教であったりして、神殿に来る人を教える役割を持っていました。 神…
詩編 51編
ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください
わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください
雪よりも白くなるように。 詩編 51編9節
わたしを洗ってください
詩編の中でも、特によく知られているものの一つで、ある人は「途方もない詩編」と呼んでいます。そう呼ばれる理由は、いろいろな意味で時代を越えており、誰もが共感する普遍性を持っていて、誰にも当てはまる共通…
ヨハネ 13章31-35節
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 ヨハネによる福音書 13章34節
あなたがたが互いに愛し合うならば
レビ記19章18節に「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」という掟が既にあります。そうであるならば、なぜ「互いに愛し合いなさい」という主イエスの掟が新しいものとなるのでしょうか。それは、「わたしがあ…
詩編 52編
わたしは生い茂るオリーブの木。
神の家にとどまります。
世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。
あなたが計らってくださいますから
とこしえに、感謝をささげます。
御名に望みをおきます
あなたの慈しみに生きる人に対して恵み深い
あなたの御名に。 詩編 52編10節~11節
神への信頼と感謝
詩編52編は、悪事を働く者と神に信頼を置く者とを対比させています。表題(1、2節)から分かることは、ダビデがサウル王から逃れてアヒメレクのところに行ったことです。ですから、3節の「力ある者」とは、サウル王…
詩編 53編
神は天から人の子らを見渡し、探される
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
だれもかれも背き去った。
皆ともに、汚れている。
善を行う者はいない。ひとりもいない。 詩編 53編3節~4節
善を行う者はひとりもいない
53編は14編と同じ詩編です。同じ詩編が重複して聖書に残されていることは、この詩編が重要であるからでしょう。そして、パウロは、ローマの信徒への手紙3章10~12節で引用しています。そこでは「いない」という言葉…
詩編 54編
見よ、神はわたしを助けてくださる。
主はわたしの魂を支えてくださる。
わたしを陥れようとする者に災いを報い
あなたのまことに従って
彼らを絶やしてください。 詩編 54編6節~7節
主はわたしの魂を支えてくださる
この詩編の3節から5節で、詩人は神に敵の手から逃れられるように懇願しています。そして、6節から9節で敵の手の災いと苦難から救い出されることの確信と、感謝を述べています。状況は詩人にとってはまさに危機的で…
詩編 55編
あなたの重荷を主にゆだねよ
主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え
とこしえに動揺しないように計らってくださる。 詩編 55編23節
あなたの重荷を主にゆだねよ
詩人は襲いかかる災いと恐れの中で主に嘆き求め、「神よ、わたしの祈りに耳を向けてください」と、そこからの救いを祈り始めます(2節)。 詩人ははるか遠くに飛び去りたい思いですが、それでも都に留まり続けます…
詩編 56編
神の御言葉を賛美します。
主の御言葉を賛美します。
神に依り頼めば恐れはありません。
人間がわたしに何をなしえましょう。 詩編 56編11節~12節
神に依り頼めば恐れなし
56編の表題から、ダビデがサウルの手を逃れてペリシテの敵陣に入り込んで、捕えられて殺されそうになったときの詩であるとわかります。サウルとペリシテ人という二つの敵に囲まれたとき、詩人は神に憐れみを願い、…
詩編 57編
憐れんでください
神よ、わたしを憐れんでください。
わたしの魂はあなたを避けどころとし
災いの過ぎ去るまで
あなたの翼の陰を避けどころとします。 詩編 57編2節
御翼の陰に
57編は表題(1節)から分かるように、ダビデがサウルの追跡の手を逃れて洞窟に潜んでいたときの詩です。そこに、サウルがやってきました。詩人は追い詰められてどこにも救いを見いだせず、神に頼る以外になくなった…
ヨハネ 5章1-9節
イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。…イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」 ヨハネによる福音書 5章6節~8節
憐れみの泉なるイエス・キリスト
羊の門の傍らにベトザタと呼ばれる池があり、その周囲に病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人など、大勢が横たわっていました。それは、その池の水が動くことがあり、その時、真っ先に水に入…
使徒 1章
イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。 使徒言行録 1章3節
40日間の特訓
十字架から復活された主イエスは、エルサレムとガリラヤで使徒たちに現れ、御自分の体である教会を建てるために、40日にわたる特別教育をされました。彼らはこれから世界中に、主の復活と、罪の赦し、主の再臨とい…
使徒 2章
ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に3千人ほどが仲間に加わった。彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。 使徒言行録 2章41節~42節
3千人の受洗
大会統計によりますと、2017年に大会全体で洗礼を受けた成人は64人です。40年前、1977年の統計では121人でしたので、半数に減っています。 本日のテキストは約2千年前のペンテコステの事件です。ペトロが説教します…
使徒 3章
ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。 使徒言行録 3章4節
わたしは何を見ているのか
エルサレム神殿で最も目立つ「美しい門」の真下に、哀れな乞食が座っていました。彼は生まれつき足が不自由でした。彼にとって神殿は礼拝の場所ではなく稼ぎの場所でした。 人びとは彼のそばを通り過ぎて行きます。…
使徒 4章
わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。 使徒言行録 4章12節
キリストによる救いのみ
カトリック教会第2バチカン公会議(1965年)は、「諸宗教の中にも真理が存在する。カトリック教会を知らないまま諸宗教を信じて誠実に生きる善意の人は、私たちが知らない方法でイエス・キリストの復活秘儀に与かり…
使徒 5章
ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。…あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」 使徒言行録 5章3節~4節
名誉欲の戒め
バルナバは畑を売った代金を教会に献金しました(4章36、37節)。これは、珍しいこととして教会の会計簿と日誌に記録されました。 アナニアとサフィラ夫婦はバルナバの名声をうらやみました。「私たちも皆から尊敬…
以前、自分が何のために働いているのかは明らかだ、それは御言葉を届けることであり、「霊」の糧を届けることだと語り、説教が終わるや否や自分の部屋に入って、それっきり出て来なくなった牧師がいると、聞いたこ…