わたしを洗ってください | 詩編 51編

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詩編 51編

ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください
わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください
雪よりも白くなるように。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 51編9節

わたしを洗ってください

詩編の中でも、特によく知られているものの一つで、ある人は「途方もない詩編」と呼んでいます。そう呼ばれる理由は、いろいろな意味で時代を越えており、誰もが共感する普遍性を持っていて、誰にも当てはまる共通性を持っているからです。

罪の恐ろしいところは、それが罪であると知っていたとしても、たいしたことはあるまいと思ってしまうことです。ダビデも、「それはあなたです」と預言者ナタンから指摘されるまで、自分のことだと思ってもいませんでした(サム下12章)。しかし、良心を取り戻すと激しい恥意識が襲ってきました。何もかもを壊してしまうほどの大きな罪であることがわかったからです。贖いのために神が求められるならどんなことでもするつもりでしたが、彼は人の働きが役に立たないことも知っていました。

神が清めてくださらなければ、完全に清くはなりません。なぜなら、赦しは神が与えるものだからです。恥意識はなかなか消せるものではありませんが、「雪よりも白くなるように洗ってください」と祈るとき、神の平安が真実に、確実に与えられます。

高内 義宣(津島教会)