自分をよく確かめたうえで | コリントの信徒への手紙一 11章

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コリントの信徒への手紙一 11章

従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 11章27節~29節

自分をよく確かめたうえで

貧しい者への愛と配慮の欠如によって、コリント教会の主の晩餐は混乱していました。パウロは、主の体をわきまえずに飲み食いしてはならないと語ります。

聖餐において、「自分をよく確かめたうえで」という御言葉が朗読されます。よく確かめる(吟味する)とは金銀のような鉱物の精錬を表す言葉です。

聖餐のたびに自分はふさわしい者だろうかと私たちは問われ、心を痛めます。主がここで求めておられるのは、完全な清さではなく、悔い砕かれた心です。神の御前に望みのないことを認め、キリストの十字架にのみ依り頼み、聖霊の御力によって清められることを切望しているのかが問われているのです。

信仰の弱さに悩み、すぐにつぶやいてしまう私たちです。しかし、自分の不信仰を嘆き、なすべき準備の不足を悟って悩み、不義を離れたいと心から願っているならば、それこそがキリストへの信仰のしるしです。

聖餐は、そのような私たちを慰め、力づけるものです。神の民と共に、この恵みを味わい、分かち合う聖餐にあなたも招かれています。

漆崎 英之(金沢伝道所)