主は体のために | コリントの信徒への手紙一 6章

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コリントの信徒への手紙一 6章

主は体のためにおられるのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 6章13節

主は体のために

以前、自分が何のために働いているのかは明らかだ、それは御言葉を届けることであり、「霊」の糧を届けることだと語り、説教が終わるや否や自分の部屋に入って、それっきり出て来なくなった牧師がいると、聞いたことがあります。

確かに、牧師の中心的な務めは人びとに御言葉を届けることであり、彼らに霊的な命を与えることです。

けれどももう一方で、私たち人は霊的な命(特別恩寵)だけで生きているのではありません。人は物理的な命(一般恩寵)によっても生かされています。人は、飲み物や食べ物の恵み、人びとからの慰めの言葉や優しい勇気付けなどによっても生かされているのです。

ヤコブ書にも、兄弟が食べ物や着る物に困っているときに「体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう」とあり、言葉の励ましだけを与える者の愚かさが示されています(2章16節)。

キリスト者は、かけがえのない隣人の、その「体」の必要のためにも祈り、仕える必要があるのだと思います。

山村 貴司(青葉台キリスト教会)