福音のためなら | コリントの信徒への手紙一 9章

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コリントの信徒への手紙一 9章

福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 9章23節

福音のためなら

パウロはここで、律法の下にあるユダヤ人、律法をもたない異邦人、教会内の弱い人に対する、キリスト者の自由の用い方について語ります。

キリスト者は、律法を完全に実行されたキリストのおかげで律法の支配から解かれ、自由な者とされています。しかしパウロは、この自由を放棄して、進んで奴隷のようになったと語ります。「すべての人に対してすべてのものになりました」(22節)。

なぜパウロは、このような生き方を選び取ることができたのでしょうか。そのようにせざるを得ないように彼をつき動かし続けたものとは一体何なのでしょうか。

「できるだけ多くの人を得るためです」「何とかして何人かでも救うためです」「福音のためなら、わたしはどんなことでもします」(19~23節)。これがパウロの答えです。福音を広めるためなら罪や悪以外のことは、どんなことでもすると言うのです。

キリストによって罪から解放され自由な者とされた私たちです。ですからきょうもキリストの奴隷として、すべての人に仕えて生きる自由を選び取ろうではありませんか。幾人かでも救うために。

漆崎 英之(金沢伝道所)