詩編 53編
神は天から人の子らを見渡し、探される
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
だれもかれも背き去った。
皆ともに、汚れている。
善を行う者はいない。ひとりもいない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 53編3節~4節
神は天から人の子らを見渡し、探される
目覚めた人、神を求める人はいないか、と。
だれもかれも背き去った。
皆ともに、汚れている。
善を行う者はいない。ひとりもいない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 53編3節~4節
2019年5月の聖書日課をまとめて表示します。
「詩編」の聖書日課をまとめて表示します。
小中 史郎が担当した聖書日課をまとめて表示します。
53編は14編と同じ詩編です。同じ詩編が重複して聖書に残されていることは、この詩編が重要であるからでしょう。そして、パウロは、ローマの信徒への手紙3章10~12節で引用しています。そこでは「いない」という言葉が5回用いられ、善を行なう者が「いない」ということが強調されています。
詩編53編では、人間の罪深さの現実が語られています。その人間の現実を神は天から御覧になり、「目覚めた人、神を求める人はいないか」と探されます。しかし、神を求める人はいない、誰もが神に背を向け、皆が汚れている、と語られています。例外なく罪を犯し、神の御心を求めようとしない、人間の全的堕落が指摘されています。聖書の語る罪とは、神に背を向けていること、神の方向から的外れな方向を向いていることです。
しかし、そのような的外れの人間を、神は愛してくださり、御子イエス・キリストを私たちにお与えくださいました。パウロは語ります。「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ロマ3章24節)。