教会に生きる喜び | コリントの信徒への手紙一 12章

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コリントの信徒への手紙一 12章

一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 12章26節~27節

教会に生きる喜び

救われた最初の頃、関心の大部分は、自分の救いに関することでした。しかし、信仰生活が進むにつれ、家庭、仕事、世界と将来のことなど、どれも教会を抜きにしては考えられなくなりました。

教会は聖霊の賜物によって成り立つキリストの体であると、パウロは語ります。教会には実に多くの賜物を持った人がいます。それらの賜物を持つ人びとによって、教会は一つの体に組み合わされ、建て上げられていきます。

「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ…」と言われます。一人の人が苦しむとき、キリストの体である教会も共に苦しみ、共に祈り、賜物に応じて手を差し伸べます。一人が尊ばれるとき、共同体全体が共に喜びにあずかります。教会がキリストの体であり、キリストが満ちておられる場だからです(エフェ1章23節)。キリストにある一致と調和のうちに互いに重荷を負い、助け合う共同体、これが教会であり、教会の魅力です。

教会で培われたこの信仰は、世にあって助けを必要としている隣人に、キリストにあって仕えることを惜しみません。

漆崎 英之(金沢伝道所)