一つの体として | コリントの信徒への手紙一 7章

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コリントの信徒への手紙一 7章

妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 7章4節

一つの体として

この聖句は、互いが互いを奴隷のように従属させることを教えているのではありません。これは、互いがそれほどまでに「一つの体」(エフェ5章31節)であり、かけがえのない存在であることを示しています。

現実的には、それぞれ別の人格、別の体を持つ者が一つの体のように歩むことは容易なことではないでしょう。子どもの頃の運動会のときにした二人三脚を思い起こします。私たちは、相手と歩幅を合わせることの難しさを知っています。けれども、歩幅を合わせることが相手への配慮であり、慈しみであり、愛であることをも知っています。そして、相手が自分にそのような配慮を示してくれていると感じるとき、私たちは温かな思いになるものです。

何よりも、二人三脚の醍醐味は、ひとたび二人の息がぴったりと合って、一つの体のように並走し始めたときの大きな感動です。それは一人のときには味わえない大きな喜びです。人は、互いに愛し合うとき、とてつもなく大きな喜びを得ることができます。そのような交わりが与えられることは、何と幸いなことでしょう。

山村 貴司(青葉台キリスト教会)