コリントの信徒への手紙一 8章
偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 8章1節
知識と愛
山村 貴司(青葉台キリスト教会)
偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 8章1節
山村 貴司(青葉台キリスト教会)
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キリスト教信仰で、失われてはならないものは何でしょう。「神を知ること」。これに優るものはないでしょう。これなしに私たちの人生は空しく、その足もとの道を照らすものもないからです。
「偶像に供えられた肉」が、何か霊力のあるものではなくただの肉であるという「知識」も、私たちは神に教えられなければ理解できず、その道を誤りなく進むことはできません。けれども、その知識は、目的を実現させるための道具に過ぎません。その知識は、時に裁きのために用いられ、時に慈しみのために用いられるからです。
コリント教会では、その知識を裁きのために用い、その知識をまだ充分に理解できない者に「つまずき」を与えてしまうことが起こりました。パウロは、それに対して、その肉についての知識が兄弟をつまずかせるなら、彼をつまずかせないために「わたしは今後決して肉を口にしない」と断言しました。
信仰生活において大切にされるべきことは「正論」ではなく、人を造り上げる「愛」なのです。神を知る、それも愛の神として知ることは、何と幸いなことでしょう。