ガラテヤ 4章
あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。 ガラテヤの信徒への手紙 4章6節
パパ!
マタイ 6章
「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。」
マタイによる福音書 6章28節
野の花の喜び
主イエスは天真爛漫であっけらかんとしておられるな、と思うことがあります。日々の衣食住について、少しも心配しておられません。私たちはと言えば、食い意地が張っていて、食をつなぐことを一生懸命に考えてしま…
ローマ 8章
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
ローマの信徒への手紙 8章28節
万事が益となるように
使徒パウロがきょうの箇所で「万事」と言ったとき、そこには明らかに「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていること」(ロマ8章22節)が含まれているでしょうし、35節に出てくる艱難、…
創世記 18章
サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」 創世記 18章15節
人が笑い、神も笑う
神のもとには笑いがあります。わたしにとっての神はジョークやユーモアを好まれるお方です。真面目で真剣な場面でも、ウィットに富んでおられます。 「わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますま…
ルカ 22章
「しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。」 ルカによる福音書 22章26節
命に至る道
きょうから四回の主日にわたって、愛をもって仕える業「ディアコニア」を主題として御言葉から学んでいきましょう。一回目のきょうは、弟子たちへの主イエスの御言葉に注目します。 最後の晩餐の食卓で、だれがいち…
エレミヤ 23章
わたしはただ近くにいる神なのか、と主は言われる。
わたしは遠くからの神ではないのか。
誰かが隠れ場に身を隠したなら
わたしは彼を見つけられないと言うのかと
主は言われる。
天をも地をも、わたしは満たしているではないかと
主は言われる。 エレミヤ書 23章23節~24節
全能の神の前で
人が神に関心を寄せるとき、その神がどんな力を持つのかをまず知りたがると思います。この場合、神は人間に御利益をもたらす神でなくてはいけません。そうしないと誰も関心を寄せないからです。だから、人々は神を…
使徒 14章
「しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」 使徒言行録 14章17節
御自分を証しする主
教会員の方がご主人から「本当に神がいるのか。神がいるなら、こんなに多くの人が災害で亡くなるはずがないじゃないか」と言われたそうです。確かに、大きな災害を目の当たりにすると、多くの人は「神などいない」…
箴言 16章
くじは膝の上に投げるが
ふさわしい定めはすべて主から与えられる。 箴言 16章33節
この世において偶然などない
日々の生活において、偶然と思われることを少なからず経験します。20数年前、わたしが来日してまず日本語の勉強をしているときに、ゴスペルシンガーだった友人の誘いで、東京のあるホテルでのクリスマスコンサート…
マタイ 10章
「2羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だが、その1羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。」 マタイによる福音書 10章29節
すべてが御手によって
2羽の雀が1アサリオンで売られています。雀1羽では値段のつけようがないほど、雀というのは価値のないものであるという意味です。しかし、そのような価値のない雀さえも、神の許しがなければ地に落ちることがないほ…
ヨブ 1章
「わたしは裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。」
このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。 ヨブ記 1章21節~22節
逆境においては忍耐強く
最近、知り合いの方が癌にかかり手術を受けました。手術は無事に終わって回復に向かっていますが、本人も、その奥さんも「なぜ我々にこのような試練があるでしょうね。時が過ぎれば、これも我々のための神の恵みで…
ローマ 8章
死も、命も、…他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。 ローマの信徒への手紙 8章38節~39節
引き離せない神の愛
神に愛されている者にはどのような益があるでしょうか。神は全知全能の方ですから、そのような方に愛されている者であるならば、この世の苦しみがあるはずがない。病気にかかることも、貧しい生活をすることもない…
ルカ 10章
主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。」 ルカによる福音書 10章41節~42節
ディアコニアに進むために
私たちが「ディアコニア」に進むためには、二つのことが必要です。一つは、腹立たしい現実を克服していくことへの覚悟です。 この日、マルタはいろいろのもてなし(ディアコニア)のため忙しく働いていました。とこ…
マタイ 1章
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。 マタイによる福音書 1章21節
ご自分の民を罪から救う
夢の中に現れた主の天使は、驚くべき知らせを告げました。「マリアは男の子を産む」。その名は「イエス(救い)」。それは、「自分の民を罪から救う」という意味が込められた名でした。 私たちが神に喜ばれる者とな…
イザヤ 43章
わたし、わたしが主である。
わたしのほかに救い主はない。 イザヤ書 43章11節
ほかに救い主はない
ここには、「わたしのほかに救い主はない」と教えられています。 イザヤ書43章の背景には、バビロンの人びとが信じる神々の存在がありました。彼らは、捕囚の民が信じる神を無力なものとみなしていたでしょう。しか…
ヨハネ 15章
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 ヨハネによる福音書 15章5節
わたしはぶどうの木
聖書はここで、「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」、すなわち、わたしを離れては「実を結べない」と言っています。どうして私たちはキリストを離れては実を結べないのでしょう。 それは、私たち自身は…
1コリント 1章
あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。 コリントの信徒への手紙一 1章12節
パウロにつく、アポロにつく
コリント教会の中には、さまざまな課題が存在していました。その中の一つが、「『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』…」という「分派」の課題でした。ここで問題なのは、キリストがパウロやアポロなどと同…
ガラテヤ 5章
律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。 ガラテヤの信徒への手紙 5章4節
信仰による義
人は、「行い」によって「正しい者」とされ、救われるのか。これは、聖書の中心的テーマの一つです。ある人たちは、人は行いによって、自らの力によって、義と認められ、救われると考えます。しかし、聖書は一貫し…
コロサイ 1章
神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、…万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。 コロサイの信徒への手紙 1章19節~20節
神との平和
「平和である」とは、どのような状態でしょうか。国語辞典では「戦争や争いがなく、世の中が穏やかな状態にあること」と記されています。 ではどうしたらそのような状態になるのでしょう。それにはまず、人と人との…
ローマ 15章
どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください、わたしがユダヤにいる不信の者たちから守られ、エルサレムに対するわたしの奉仕が聖なる者たちに歓迎されるように、 ローマの信徒への手紙 15章30節~31節
わたしと一緒に熱心に祈ってください
「どうか、わたしのためにわたしと一緒に神に熱心に祈ってください」。パウロはローマの兄弟姉妹たちに懇願します。その祈りの課題は、二つありました。一つは、ユダヤにいる不信の者たちから守られること。もう一…
ルカ 3章
聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 ルカによる福音書 3章22節
あなたはわたしの愛する子
私たちはたくさんの人の中で生活をしています。きょうも仕事場で、家庭で、社会で、いろいろな人と共に生活をしています。ただ周りに人がいるというのではなく、助けたり、助けられたりして、生きています。「人が…
ヨハネ 1章
いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。 ヨハネによる福音書 1章18節
既に父を見ている
店で買い物をしていて、品物を見ていて気づかず、手を伸ばしたそのとき、ばったり友人と会う。買い物かごを持っているので、ちょっと恥ずかしそうに挨拶して…、などということがあります。私たちは目でさまざまなも…
ヘブライ 9章
雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。 ヘブライ人への手紙 9章12節
永遠の贖いを成し遂げられた祭司キリスト
きょうもまた、新しい一日が始まります。神が与えてくださるという意味で「新しい」日なのですが、現実の生活は日々の繰り返しのようです。昨日までの過去も明日からの未来も喜怒哀楽さまざまありますが、なんだか…
ヨハネ 10章
わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。 ヨハネによる福音書 10章28節
わたしは良い羊飼い
旧約の昔から神の民を「尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする」、そういう役目をもった者を「牧者」と言ってきました。(エゼ34章16、23節)。 神は群れや民に対してそうい…
1コリント 12章
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。 コリントの信徒への手紙一 12章27節
あなたがたはキリストの体
「あなたがたはキリストの体であり、また一人一人はその部分」、これと似た言葉に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(ヨハ15章5節)があります。こちらは「実を結ぶ」ということのためにイエスが教…
1ペトロ 2章
あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。 ペトロの手紙一 2章5節
キリスト者と呼ばれるように
使徒言行録の11章に、アンティオキアの教会で「弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになった」と記されています。キリストの名を口にする者は、キリスト者・クリスチャンとあだ名されたのです。 自分から名乗…
1ペトロ 4章
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。 ペトロの手紙一 4章10節
恵みの善い管理者
私たちが、愛をもって仕えることができる者となるために、なんと神はすべての必要を満たしておられます。 まず、一人一人に賜物が与えられています。この賜物は特別なものとは限りません。体を動かせることも、口を…
ヨハネ 1章
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 ヨハネによる福音書 1章14節
独り子を見つめる幸い
私たちは、キリストのものです。それは「神の子」と呼んでくださるほどに確かなものです。しかし神の子という身分は、本来キリストのみのものです。ですからキリストは神の「独り子」と呼ばれます。私たちはこの方…
ヘブライ 1章
御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、…人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。 ヘブライ人への手紙 1章3節
十字架から始まる生活
御子イエス・キリストを見つめる生活は、神を神とする生活です。それは、神ではないものを神とするのではなく、神のみを礼拝する生活です。 新約聖書が書かれた時代には、天使を礼拝する人たちがいました。しかしイ…
ローマ 8章
神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。 ローマの信徒への手紙 8章14節
神の恵みはどこまでも
神の子は、本来イエス・キリストのみに当てはまることです。しかし、キリスト者になった私たちも当然のようにして神の子と呼ばれます。私たち自身を見つめるならば、罪の子、罪人とだけ呼ばれたほうが、まだその現…
1ペトロ 1章
知ってのとおり、あなたがたが先祖伝来のむなしい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものにはよらず、きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。 ペトロの手紙一 1章18節~19節
小羊の血による生活
神の子とされた私たちは、神の独り子であるイエス・キリストを「我らの主」と呼びます。このお方だけが、私たちにとって救い主だからです。 財産や健康は大切ですが、それが私たちを罪から救うのではありません。私…
コロサイ 1章
御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。 コロサイの信徒への手紙 1章13節
私たちの居場所
私たちに潜む闇は何でしょうか。わかるようでいて、しかし問い続けるとなかなか言葉で表しにくいものかもしれません。闇という言葉自体が、捉えどころのない不気味な力の象徴です。それは混沌としていて、秩序が無…
わたしが牧会させていただいている教会には、親のいない、あるいは親と一緒に暮らすことのできない子どもを引き取って、自分の子どもとして育てておられる兄姉がおられます。本当に素晴らしい働きだと、頭が下がる…