コロサイの信徒への手紙 1章
神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、…万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コロサイの信徒への手紙 1章19節~20節
神との平和
山村 貴司(青葉台キリスト教会)
神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、…万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コロサイの信徒への手紙 1章19節~20節
山村 貴司(青葉台キリスト教会)
2017年3月の聖書日課をまとめて表示します。
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「平和である」とは、どのような状態でしょうか。国語辞典では「戦争や争いがなく、世の中が穏やかな状態にあること」と記されています。
ではどうしたらそのような状態になるのでしょう。それにはまず、人と人との間に平和が実現しなければならないでしょう。しかし、そのような平和が実現されるためには、もっと本質的で、かけがえのない平和が実現されなければならないでしょう。そのかけがえのない、真実な平和とは何か。それは「神との平和」です。
天地創造の時、神は、エデンで、人(アダム)にかけがえのない、豊かな神の平和を与えてくださいました。しかし、人は罪を犯し、堕落し、この神との平和を喪失してしまいました。
神は、そのような私たちのために、キリストを遣わし、十字架の血によって罪を贖い、もう一度、神との平和を取り戻してくださいました。そのため、今、私たちは、エデン、つまり、神の国の平和を味わうことが許されました。日々、神と豊かにまじわり、神から満ちあふれる命と英知、そして、愛をいただいて生かされているのです。