パウロにつく、アポロにつく | コリントの信徒への手紙一 1章

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コリントの信徒への手紙一 1章

あなたがたはめいめい、「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリストに」などと言い合っているとのことです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 1章12節

パウロにつく、アポロにつく

コリント教会の中には、さまざまな課題が存在していました。その中の一つが、「『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』…」という「分派」の課題でした。ここで問題なのは、キリストがパウロやアポロなどと同列にされていることです。パウロはこれを解決するために、教会員に対して、最も基本的なことを語っています。

それは「アポロとは何者か。また、パウロとは何者か」ということです(1コリ3章5節)。すなわち聖書は、彼らはただの「人」である、と言っているのです。そして、人は人を救うことができるのか、人は人を養うことができるのか、人は人を成長させることができるのかと問うているのです。

ある人たちは、「人」は人を救えるし、人は神たり得ると言います。しかし聖書は言います。人を救うことがおできになるのはただ神のみです。人を養うことができるのはただ神のみです。人を成長させることができるのはただ神のみです(同3章6節)。

私たちの教会が、人に依り頼まず、どんなときでも神と、主イエス・キリストに依り頼んで歩むことができますように。

山村 貴司(青葉台キリスト教会)