独り子を見つめる幸い | ヨハネによる福音書 1章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

ヨハネによる福音書 1章

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネによる福音書 1章14節

独り子を見つめる幸い

私たちは、キリストのものです。それは「神の子」と呼んでくださるほどに確かなものです。しかし神の子という身分は、本来キリストのみのものです。ですからキリストは神の「独り子」と呼ばれます。私たちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです(問33答)。

その恵みは神の言であるイエス・キリストが「肉」となったことに現されました。ご自身を十字架の死に至るまで、この悲惨な私たちの現実を身にまとわれたのです。私たちの現実は、ほうっておけば滅びゆく体、また魂です。絡みつく罪が私たちを死へと誘いこむからです。誰も明日の命を保証できません。

けれどもキリストは肉をとり、「わたしたちの間に宿られました」。私たちの罪にまみれた生活、死へと向かう命に入って来られたのです。

どこに救いが、と嘆かざるを得ないような世に神の独り子は宿られました。私たちにはない栄光が、この御子にはあります。私たちにはない恵みと真理が、この御子には満ちています。

私たちはこの独り子に、この世にはない命の光を見出したのです。

片岡 継(ワシントン日本人キリスト教会)