リジョイス聖書日課 2017年4月

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2017年4月の聖書日課

1コリント 6章

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。 コリントの信徒への手紙一 6章20節

神の栄光を讃えて生きる

私たちの体も魂もキリストのものであることは、体も魂も神の愛の御手のうちにあるということです。私たちの体も魂も、どうしようもないほどに罪の支配のもとにありました。頭ではわかっていても何度も繰り返してし…

フィリピ 1章

ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、…わたしは次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、…たじろぐことはないのだと。 フィリピの信徒への手紙 1章27節~28節

福音にふさわしく生きる

新しい生活をすることとはどのような生き方でしょうか。福音にふさわしい生き方と、言い換えることができるでしょう。 パウロは「生活を送りなさい」と言うときに、「市民権を得る」、「市民生活をする」を意味する…

ヨハネ 1章

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。 ヨハネによる福音書 1章1節、14節

真の神が真の人に―神の言なればこそ

第14主日のハイデルベルク信仰問答は、キリストの受肉―神の御子が人となること―を教えています。神々が人となるという化身、権化の思想は古くから多くの神話や民話にあります。それらは例えば、神仏が人間を救うた…

ルカ 1章

天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」 ルカによる福音書 1章35節

聖なる方・罪なき方こそ真の救い主

天使がマリアに男児誕生を告知したとき、彼女は未婚でした。不妊や高齢の女性の出産はなかなか難しいですが、既婚者の場合、万が一になら、起こるかもしれません。でも、マリアには全く起こり得ないことです。しか…

フィリピ 2章

キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。 フィリピの信徒への手紙 2章6節~7節

僕になった神―低さの極みにまで

キリストは神の御子、つまり神ご自身です。しかし、人間になられました。それも、かりそめにではなく、完全に、永遠に(神でありつつ)人間となられたのです。しかも、主人のために何もかもを犠牲にして働く僕とし…

1テモテ 2章

神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。 テモテへの手紙一 2章5節~6節

ただ一人の贖い主、キリスト

贖いは聖書が教える救いの特質です。救いとは罪からの救いです。しかし、罪自体が単に悪とか悲惨なのではありません。罪とは、神に対する敵対という人格的な性質の事柄です。したがって、救いも神との関係の変化が…

ローマ 8章

神は…御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。 ローマの信徒への手紙 8章3節~4節

死をもたらす律法が命への導き手に

キリストを信じて義とされた私たちはさらに、真の義人であるキリストに似たものに変えられ、霊的に清められていきます。これは聖化と言われ、聖霊の神の主権的、恩恵的な働きで、私たちをキリストと一つにしてくだ…

2コリント 5章

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。 コリントの信徒への手紙二 5章21節

キリストにあって起きた罪と義の逆転

信仰義認。それは聖書が教える救いについての最も凝縮された宗教改革的告白です。信仰とはもちろん、イエス・キリストへの信仰です。では、なぜ、キリストが義認の根拠となるのでしょうか。それは、キリストにおい…

ローマ 6章

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 ローマの信徒への手紙 6章4節

新しい命に生きる

教理用語で「聖化」という言葉があります。この教理は聖書の明確な教えですが、実は宗教改革者たちによって確立した教説でもあります。 ウェストミンスター信仰告白第13章を是非ご覧ください。そこには簡潔に、聖化…

イザヤ 53章

彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。 イザヤ書 53章3節

主イエスが担った苦しみとわたし

神は預言者イザヤの口を通して、やがて遣わされるメシアの姿を、苦難の中を歩む僕としてお示しになりました。その姿は、目を疑うほどに惨めな姿です。父なる神の御許で持っていた栄光の姿を打ち捨てて、僕の姿で現…

1ヨハネ 4章

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 ヨハネの手紙一 4章10節

神の愛と唯一の犠牲

赦しには愛が伴います。愛のないところに真の赦しは実現しません。神は実にご自身がお造りになった人間を愛しておられます。ご自分を裏切り、罪のうちに堕落していった人間を、決して見放すことはなさいませんでし…

ローマ 8章

従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。 ローマの信徒への手紙 8章1節~2節

罪と死との法則からの解放

神は罪を犯したアダムにおっしゃいました。「お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る」と(創3章19節)。本来、神から与えられた命も労働も人…

ローマ 3章

ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。 ローマの信徒への手紙 3章24節

十字架と神の義

讃美歌262番はこう始まります。「十字架のもとぞいとやすけき、神の義と愛のあえるところ」。そうです。キリストの十字架には罪人に対する神のこの上ない愛が表れていると同時に、罪に対する神の妥協を知らない義の…

2コリント 5章

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。 コリントの信徒への手紙二 5章21節

ポンテオ・ピラトのもとに

主イエス・キリストが十字架で苦しみを受け、死を遂げられたことは歴史的な事実です。もしこのことが人類の歴史の中で起こった出来事でないとしたら、キリスト教の救いは絵空事にすぎません。どんなに論理的に正し…

ガラテヤ 3章

キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。 ガラテヤの信徒への手紙 3章13節

呪いを引き受けられた主イエス

当時のユダヤ人たちが、神を冒涜する者を処刑する方法は石打ちでした。しかし、ヨハネによる福音書の中でユダヤ人指導者たちがいみじくも言っているように、彼らには死刑を行う権限がありませんでした(ヨハ18章31…

1ペトロ 1章

わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え…てくださいました。 ペトロの手紙一 1章3節~4節

新生と希望

今日は、イースターです。 今日の聖句で、ペトロは、神が私たちを「新たに生まれさせ」たと語ります。私たちはすでに新しく生きています。新しい命にあふれています。その命が私たちを生かしています。その命は死人…

ローマ 8章

肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。 ローマの信徒への手紙 8章3節

キリストの死

大学生の時、「神の子イエスがどうして神から呪われたものとならねばならないのか」という疑問が生じました。 「キリストは、わたしたちのために呪いとなって、わたしたちを律法の呪いから贖い出してくださいました…

イザヤ 53章

彼は不法を働かず
その口に偽りもなかったのに
その墓は神に逆らう者と共にされ
富める者と共に葬られた。 イザヤ書 53章9節

キリストの葬り

死ぬことが本来ない神の子が、死なれました。これは大事件です。死は悲しい、信じられない、衝撃的な出来事です。死去じたい受け止めにくい出来事ですが、葬儀ということをもって完全な死別の確定となるのです。 私…

1テサロニケ 5章

神は、わたしたちを…主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。 テサロニケの信徒への手紙一 5章9節~10節

身代わりの死と私たちの死

自分だけは死なないと錯覚している人がいます。それでいて死んだらすべては終わりだと決めつけていたりします。 神の愛は徹底して、神から離れている私たちを常に待ってくれている放蕩息子の父親と重なります。わた…

1コリント 6章

わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。 コリントの信徒への手紙一 6章6節~7節

「キリストの犠牲と死」からの益

90歳近くのご婦人から、「先生、復活があることは嬉しいのですが、いったい何歳くらいで復活するのでしょうか」という質問を受けました。「そのことについて聖書にはっきりと記されていませんので答えられません。…

エフェソ 5章

あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。 エフェソの信徒への手紙 5章1節~2節

感謝のいけにえ

やもめの息子を死からよみがえらせ、会堂長の12歳の娘を生き返らせ、愛するラザロを手元に引き寄せられた力あるお方こそ、人の子イエス・キリストです。 このお方は、私たちのために死なれました。しかも死後に葬ら…

ヘブライ 5章

キリストは、…激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。…そして、…神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。 ヘブライ人への手紙 5章7節~10節

試みの中にあるキリスト者の幸い

キリストのご受難と死を通して私たちに示されることは、全くの恵み以外にありません。御子が私たちと同じ肉を取り、人としてお生まれになったということは、私たちの弱さや悲しみを共有されるということのほかあり…

ガラテヤ 5章

これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。 ガラテヤの信徒への手紙 5章22節~23節

聖霊の実

罪の縄目から解放された生、悪いところを取り除いて全く新しくされた生、それがキリスト者の新しい生き方、新しい道です。この道を私たちはどうやって見いだし、力強く歩むことができるのでしょうか。 新しい生き方…

ローマ 4章

イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。 ローマの信徒への手紙 4章25節

神に受け入れられているわたし

きょうの言葉の前提となっているのはアブラハムの歩みです。ご存じの通り、アブラハムには神によって祝福の約束が与えられていましたが、百歳になるまで子どもは与えられませんでした。そのままでは、約束の成就の…

1ペトロ 1章

主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は…わたしたちを新たに生まれさせ…イエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え…天に蓄えられている…財産を受け継ぐ者としてくださいました。 ペトロの手紙一 1章3節~4節

変わらぬ賛美を

ペトロは、きょうの箇所の書き出しでまず、神を賛美します。「ほめたたえられますように」という言葉は、決して空騒ぎというものではなく、彼の深いところから出た言葉です。 ペトロはこの時も楽な生き方をしていた…

ローマ 6章

ローマの信徒への手紙 6章5節~6節

キリストと共に

パウロはこのところで「古い自分」ということを言います。それはどのようなものでしょうか。私たちはアダム以来、生まれたままでは罪に生きており、その実態は「不従順」にあるとパウロは言います(ロマ5章19節)。…

エフェソ 2章

神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり…罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。 エフェソの信徒への手紙 2章4節~6節

今ここで天に生きる

使徒言行録には主イエスが天に昇られる様子が描かれています。そして私たちは、主イエスが今も天の神の右の座において世を支配されていることを信じています。一方、私たちは地上にあって、肉の命を生きています。…

1コリント 15章

死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。 コリントの信徒への手紙一 15章16節~17節

罪からの自由

コリントの教会には、主イエスの復活を信じきれない人たちが存在したようです。私たちもまた、復活ということを身近に感じられないような気がする時があるかもしれません。それに対してパウロは、復活とはそもそも…

フィリピ 3章

しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。 フィリピの信徒への手紙 3章20節

しかし本当は

この聖書の言葉は「しかし」で始まっています。その前に語られた事柄を受けてのことです。その前に語られていたのは「腹を神と」することでした。食べることは大切なことです。個人の人生にしても、政治にまつわる…

1ヨハネ 4章

わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。
神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。 ヨハネの手紙一 4章16節

愛なる神と共に

わたしは救いというものを「神が共にいますこと」と定義しています。ますますその思いが強くなってきています。パウロ自身の心情でもありました(フィリ1章23節)。それは単に定義としてだけではなく、そのことを確…