リジョイス聖書日課 2024年1月

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2024年1月の聖書日課

わたしの街のこの教会 Vol.80 吉原富士見教会

わたしの街のこの教会 Vol.80 吉原富士見教会

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2024年1月は静岡県富士市にある「吉原富士見教会」です

詩編 81編

わたしが、あなたの神、主。
あなたをエジプトの地から導き上った神。
口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。 詩編 81編11節

口を開けて神の恵みを求めよ

新しい年、神に向かって大きく口を開きたいと思います。神は私たちを恵みで満たしてくださいます。エジプトの地から解放されたイスラエルの民の口にマナを与えて養ってくださったように、今も私たちに日ごとの糧や…

詩編 84編

いかに幸いなことでしょう
あなたによって勇気を出し
心に広い道を見ている人は。 詩編 84編6節

心に広い道を見る幸い

新しい年、どのような道が備えられているでしょうか。希望している道が開かれるのを願っている人、険しい道を覚悟している人、思い描いている道はさまざまでしょうが、聖書は「心に広い道を見ている人」は幸いであ…

詩編 105編

主を、主の御力を尋ね求め
常に御顔を求めよ。 詩編 105編4節

神の御顔を見ることの大切さ

お正月には、普段なかなか会えない親戚や旧友と久しぶりに顔を合わせるという人も多いでしょう。顔を見ることで、元気な様子が分かって安心したりします。 聖書は、「常に御顔を求めよ」と命じ、神の顔を見ることの…

詩編 143編

わたしはいにしえの日々を思い起こし
あなたのなさったことをひとつひとつ思い返し
御手の業を思いめぐらします。 詩編 143編5節

これからも神の御業を思い起こす

新しい年も早いもので4日となりました。昨年1年の日々を振り返りながら年を越しましたが、今年もすでにこうして一日一日を積み重ねています。始まったばかりのこの年の歩みも、すぐに振り返られる過去の日々になっ…

1コリント 1章

皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。 コリントの信徒への手紙一 1章10節

十字架の前に立つ者として

パウロが開拓伝道をした教会が混乱していました。パウロは、人づてにコリント教会の中に「争い」があることを聞きます(11節)。「わたしはパウロにつく」「わたしはアポロに」「わたしはケファに」「わたしはキリ…

詩編 39編

御前には、この人生も無に等しいのです。
ああ、人は確かに立っているようでも
すべて空しいもの。 詩編 39編6節

この人生も無に等しいのです

「人生も無に等しい」という言葉は、人生に対する否定的な言葉に思えるかもしれません。しかし、「御前には、この人生も無に等しいのです」と語っていることに注目したいと思います。人生の空しさ、はかなさを正し…

マルコ 1章4-11節

すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 マルコによる福音書 1章11節

神の子が私のために死なれた

洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えました(4節)。ヨハネは、キリストの到来を預言する使者として、神から遣わされた人でした。彼は自身について、「わたしは、かが…

1コリント 2章

「目が見もせず、耳が聞きもせず、
人の心に思い浮かびもしなかったことを、
神は御自分を愛する者たちに準備された」
と書いてあるとおりです。 コリントの信徒への手紙一 2章9節

わたしにも恵みが恵みが

誰も思いつかなかったこと。私たちの想像を遥かに超える、「世界の始まる前から定めておられた」(7節)よい計画を神はお持ちです。 私たちは、自分が救われているか、不安になることがあります。しかし、救いの保…

1コリント 3章

わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。
コリントの信徒への手紙一 3章10節

目標をしっかりと見つめて

パウロは教会を建物にたとえます。コリント教会はパウロの開拓伝道に始まったのですから、彼は設計図を書いて建物の土台を据えた人です。続くアポロは、建物の骨格を組み立てた人と言えるでしょう。 ただしパウロの…

1コリント 4章

こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。 コリントの信徒への手紙一 4章1節

管理者に求められることは

パウロは言いました。「わたしは、自分で自分を裁くことすらしません」(3節)。振り返って落ち込まない、すっきりとした生き方です。 パウロは自分のことを「神の秘められた計画をゆだねられた管理者」と考えてい…

1コリント 5章

いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに取り除きなさい。現に、あなたがたはパン種の入っていない者なのです。 コリントの信徒への手紙一 5章7節

罪に気づき離れるために

5章から、パウロはコリント教会の具体的な問題と取り組みます。性的な不品行が起きていました。それは「父の妻をわがものと」するほどで、異邦人の間でもまれなことでした。 パウロは、教会の陥っているこの状態を…

1コリント 6章

知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
コリントの信徒への手紙一 6章19節

わたしの体は誰のもの

「わたしには、すべてのことが許されている」(12節)。これはおそらくコリント教会のスローガンです。霊に満たされたなら何でも自由だと信じていました。しかし、彼らは自由と放縦を履き違えていたのです。 何と教…

詩編 40編

主よ、走り寄ってわたしを救ってください。
主よ、急いでわたしを助けてください。 詩編 40編14節

急いで助けてください

信仰者は、本当に信頼すべきお方を知っています。詩編40編は、「主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった」と語りはじめます(2節)。そして、「いかに幸いなことか、主に信頼…

ヨハネ 1章43-51節

更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。 ヨハネによる福音書 1章51節

キリストが天からの力で励ます

キリストに出会ったフィリポは、ナタナエルに出会って言いました。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った」(45節)。すなわちメシア、キリストに出会ったと。キリストがナザレ…

1コリント 7章

あなたがたは、身代金を払って買い取られたのです。人の奴隷となってはいけません。 コリントの信徒への手紙一 7章23節

キリストのものとして生きる

この書物が書かれた当時のギリシア・ローマの社会では、妻は夫の所有物のようにみなされていました。しかし、ここでパウロは、男性と女性が神の前に等しいものであると教えています。独身については、主に仕えるた…

1コリント 8章

ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。 コリントの信徒への手紙一 8章9節

躓きを与えないための配慮

当時、食卓に並べられる肉の中には、異教の神殿で神々への供え物としてささげられた後に市場へ移されたものがたくさんありました。コリント教会の中では、これを気づかって、「偶像にささげられた肉は食べてはなら…

1コリント 9章

わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 コリントの信徒への手紙一 9章19節

キリスト者の自由とは何か

コリントの教会には、パウロを使徒として認めようとせず、彼の言動を批判する人たちがいました。そうした人たちに対して、彼は「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではない…

1コリント 10章

神は…あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
コリントの信徒への手紙一 10章13節

逃れる道をも備えられる真実な神

神は、エジプトで奴隷として虐げられていたイスラエルの民を救うためにモーセを遣わし、エジプトに十の災いを下して、民をエジプトから救い出されました。しかし、エジプトから救われた民は、すぐには乳と蜜の流れ…

1コリント 11章

感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。 コリントの信徒への手紙一 11章24節

わたしの記念として行いなさい

11章1節で、「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」と言われます。これはパウロが自分を誇って言うのではありません。自分の弱さを認めて神の憐れみを切実に求める…

1コリント 41編

いかに幸いなことでしょう
弱いものに思いやりのある人は。 コリントの信徒への手紙一 41編2節

弱いものに思いやりのある人

私たちは、この世界では、「強いもの」がたくさんの利益を得て、「弱いもの」が損をしているように思える時があります。もし「弱いもの」が損をする世界であれば、「弱いもの」は、最終的に見捨てられ、「強いもの…

マルコ 1章14-20節

イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 マルコによる福音書 1章17節~18節

福音の言葉で満たされ遣わされる

キリストは、シモンとその兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になりました。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われると、二人はすぐに網を捨てて従いました。人間をとる漁師、すなわ…

1コリント 12章

…また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。 コリントの信徒への手紙一 12章3節

イエスを主と告白できるのは

12章を読むと、わたしはかつての罪深い自分の姿を想い起こします。悪霊に「誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれ」ていたことを、です(2節)。しかし、悪霊の配下にあった罪深いわたしが悔い改…

1コリント 13章

愛は忍耐強い。愛は情け深い。…すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 コリントの信徒への手紙一 13章4節~7節

主イエスにこそある愛を追い求めよう

きょうの聖句で最も中心となるのは、4節の前半です。「愛は忍耐強い。愛は情け深い」。原文では「忍耐強い」と「情け深い」とが「愛」で挟まれています。7節の「すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべて…

1コリント 14章

愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。 コリントの信徒への手紙一 14章1節

「イエスは主である」との預言に生きる

主イエスは最高の預言者です。キリスト者は、最高の預言者イエスに聖霊により結ばれて、小さな預言者とされています。そして、主日の礼拝毎に、その1週に生きるべき預言である聖書の御言葉を与えられ、預言に生きる…

1コリント 15章

神の恵みによって今日のわたしがあるのです。…しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。 コリントの信徒への手紙一 15章10節

十字架神の恵みの現れ

10節に「神の恵み」という表現が3回使われています。動詞の「恵む」を国語辞書で引くと、「情けをかける。かわいそうに思って、金や物を与える」(新明解)とあります。また、この辞書には「表記」として「『恤む』…

1コリント 16章

…週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。 コリントの信徒への手紙一 16章2節

聖書的で健全な献金の方法

聖書的で健全な献金の方法を確認しておきましょう。 まずおぼえたいのは、主なる神は、天地を造り、今もすべての所有者であられることです。私たちは、神からあらゆるものをお預かりしているだけですから、お返しす…

詩編 42編

神に、命の神に、わたしの魂は渇く。
いつ御前に出て
神の御顔を仰ぐことができるのか。 詩編 42編3節

命の神にわたしの魂は渇く

人間は、本来、造り主である神と共に生き、神を礼拝するものとして造られました。ですから、人間は、神と共にいて神を礼拝し続けなければ、本当に人間らしく生きていくことはできません。 もし人間が神を無視して自…

1コリント 1章21-28節

人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 コリントの信徒への手紙一 1章27節

キリストの権威ある言葉に立つ

カファルナウムの会堂に、悪霊に取りつかれている男がいました。彼はキリストを見ると、「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と叫びました(24節)。キ…

イザヤ 40章

エルサレムの心に語りかけ
彼女に呼びかけよ
苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。
罪のすべてに倍する報いを
主の御手から受けた、と。 イザヤ書 40章2節

主なる神の慰めは驚くほど

神が語りかけておられます。「わたしの民」と呼んでくださいます。神の言葉を聞きながらも、何度も従わなかったのです。それなのに神はなおも、「わたしの民」と呼んでくださるのです。神は、私たちに対して失望な…

イザヤ 41章

あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神
主は言われる。
恐れるな、虫けらのようなヤコブよ
イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。 イザヤ書 41章14節

無に等しき者に親しく神は呼びかける

「わたしがあなたの神である」と、主が名乗りを挙げておられます。神とわたしとが向かい合わされています。イスラエルを安心させるために、繰り返し「わたしだ、恐れることはない」と言われます。 神は聖なる贖い主…

イザヤ 42章

彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく
暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。 イザヤ書 42章2節~3節 

そのままに彼はわたしを受け止める

神から遣わされた僕は叫びをあげません。この人は自分が顧みられることを求めず、静かに神を指し示します。なぜでしょうか。不当な裁きを受けているにもかかわらず。 彼は強く自己主張をしません。自分が立つよりも…