使徒 1章
こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。 使徒言行録 1章9節~10節
天にのぼり
使徒 1章
こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。 使徒言行録 1章9節
天を見つめていた
キリストが上げられた天とは、空や宇宙のことではなく、神の御座です。御子をイエス・キリストとして地上に遣わしてくださった父なる神がおられるところです。 この父のもとに上げられたことから分かることは、主イ…
ローマ 8章
だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 ローマの信徒への手紙 8章34節
天と地と陰府
天に上げられるイエス・キリストを見た弟子たちは、復活の朝に主イエスが葬られた墓をふさいでいた大きな石が転がされ、墓が開いているのを目で見ていました。 ところで、墓は、復活した主イエスが外に出るために開…
1ヨハネ 2章
わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。 ヨハネの手紙一 2章1節
弁護者キリスト
キリストは、天に上げられ、父なる神のもとで父なる神と同じ栄光を受けておられます。 キリストがこの栄光にあずかったのは、第一に罪なき生涯を送り、神に従いきったこと、第二に十字架において私たちのすべての罪…
ヨハネ 14章
わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 ヨハネによる福音書 14章2節
キリストが天に
昨日に続いてきょうも、キリストが父なる神のもとで栄光にあずかっておられることの益を考えます。 今、キリストが天で輝いておられるのは、神の永遠の御子としてだけではありません。人となられ十字架において死ん…
ヨハネ 14章
わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。 ヨハネによる福音書 14章16節
キリストの聖霊
ハイデルベルク信仰問答 問49の答によれば、天にあげられたキリストは、ご自分の霊である聖霊を地上に送られました。 イエス・キリストは、ひとりの人ですから、一つの場所に身を置くことしかできませんでした。し…
ヨハネ 15章
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。 ヨハネによる福音書 15章16節
神の全能、己の無能
表題の「神の全能、己の無能」という言葉は、信仰的な立場を改革派とは異にする、ある他派の伝道者が、何度も強調していた言葉です。わたしは改革派教会に来る前、この伝道者が校長を務める神学校で教えを受けてい…
コロサイ 1章
また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。 コロサイの信徒への手紙 1章18節
キリストはキリストの教会の頭である
『ハイデルベルク』問50は、私たちにキリストの昇天について、二つの目的を教えています。それは、キリストがキリストの教会の頭であること、そして、父なる神がキリストを通して万物を統治されていること、です。 …
エフェソ 1章
神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。 エフェソの信徒への手紙 1章22節
父なる神の、キリストによる統治
『ハイデルベルク』は私たちに「この方(昇天し、神の右に座されたキリスト)によって御父は万物を統治なさるからです」と教えています。 エフェソの信徒への手紙1章15~23節は、使徒パウロの祈りです。彼は感謝と…
エフェソ 4章
こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、…キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。 エフェソの信徒への手紙 4章12節~13節
昇天と神の右に座されることの益
『ハイデルベルク』問51は、私たちにキリストの昇天と神の右の座につかれることの益を教えています。すなわち、キリストは聖霊を通して私たちに「天からの諸々の賜物を注ぎ込んでくださる」こと、父から与えられた…
詩編 110編
わが主に賜った主の御言葉。
「わたしの右の座に就くがよい。
わたしはあなたの敵をあなたの足台としよう。」
主はあなたの力ある杖をシオンから伸ばされる。
敵のただ中で支配せよ。 詩編 110編1節~2節
すべての敵から守り支えてくださる
詩編110編は、王の即位式に歌われました。祭司か預言者が、王に油を注ぎ、王冠を被らせ、律法の書を手渡しました。そして、預言者を通して、王に即位する者に、神託が告知されます。その時、王は主なる神が設けられ…
詩編 8章
被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 詩編 8章23節
再臨のキリストを待ち望む
『ハイデルベルク』問52では、再臨のキリストによる慰めが教えられています。 使徒パウロは、「将来の栄光」について記しています。現在、キリストと共に苦しむことが、将来、キリストが再臨された時に、その栄光に…
マタイ 25章
「こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」 マタイによる福音書 25章46節
再臨のキリストによる裁きの祝福
再臨のキリストの裁きは、祝福なのでしょうか。 マタイによる福音書25章34~46節で、主イエスは、弟子たちに、王による裁きをお話になりました。裁きとは分かつことです、右と左に。 しかし、主イエスがなさる王の…
マタイ 2章
こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。
激しく嘆き悲しむ声だ。
ラケルは子供たちのことで泣き、
慰めてもらおうともしない、
子供たちがもういないから。」 マタイによる福音書 2章17節~18節
契約の子の救い
自分とは別の「ユダヤ人の王」が生まれたと聞いたヘロデ王は、将来、自分の王座が奪われる不安と恐れに駆られて、生まれたばかりの主イエスを殺そうとします。そのためにヘロデ王は、「ベツレヘムとその周辺一帯に…
創世記 1章
初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 創世記 1章1節~2節
神の霊が水の面を動いていた
使徒信条で「我は聖霊を信ず」と告白します。「聖霊」について何をどう信じているか、それを今週確認します。 聖霊のことは、創世記の冒頭に記されていますので、ハイデルベルク信仰問答 問53の答にあるとおり、こ…
ガラテヤ 3章
それは、アブラハムに与えられた祝福が、キリスト・イエスにおいて異邦人に及ぶためであり、また、わたしたちが、約束された“霊”を信仰によって受けるためでした。 ガラテヤの信徒への手紙 3章14節
約束された“霊”
きょうの御言葉には、旧約聖書のすべての約束の成就が凝縮されています。 まず「アブラハムに与えられた祝福」ですが、これは「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」という約束のことです(創22…
ガラテヤ 4章
あなたがたが子であることは、神が、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。 ガラテヤの信徒への手紙 4章6節
「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊
昨日さらりと「イエス・キリストは、聖霊の力を受けて地上を歩まれ、十字架の死を忍ばれ、異邦人も含めすべての民のために立てられ(復活させられ)た」と記しました。 主イエスは、神の御子です。しかし「軽蔑され…
2コリント 1章
わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に“霊”を与えてくださいました。 コリントの信徒への手紙二 1章21節~22節
アーメンと唱えてキリストとつながる
「『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊」に助けられて祈れるなら、力が与えられて、がんばれそうな気がします。しかし、試練の道を歩んでいるときには、祈ることすらできなくなる、というのが、弱い私たちの現実です。 …
1ペトロ 4章
愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、…驚き怪しんではなりません。…あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。…神の霊が、あなたがたの上にどとまってくださるからです。 ペトロの手紙一 4章12節~14節
神の霊が、あなたがたの上に
できれば試練に遭いたくない。そう思う人は少なくありません。しかし聖書によれば、キリスト者には試練がふりかかってくるものなのです。試練は耐え忍ぶもの、と思いがちですが、きょうの御言葉の省略された部分で…
ヨハネ 14章
わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。…この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。 ヨハネによる福音書 14章16節~17節
永遠にあなたがたと一緒に
月曜日に確認したように、聖霊なる神は、天地創造の初めからおられた永遠の存在、永遠の神です。ですからきょうの御言葉で言われているとおり、この方は永遠に私たちと一緒にいてくださることができます。 きょう、…
エフェソ 1章
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 エフェソの信徒への手紙 1章4節
神の恵みによる選び
この御言葉は、わたしが入信して間もない頃、自分の信仰が確かなものかどうか悩んでいた時に与えられたものです。その時、驚きと喜びの中で神の恵みに感謝し、主を賛美しました。 「予定についての信仰の宣言(50周…
黙示録 5章
「あなたは、屠られて、
あらゆる種族と言葉の違う民、
あらゆる民族と国民の中から、
御自分の血で、神のために人々を贖われ
…たからです。」 ヨハネの黙示録 5章9節~10節
キリストの血により
「教会」と聞いて、まず心に思い浮かべるのは、屋根の上に立てられた十字架ではないでしょうか。日本よりクリスチャン人口が多いお隣の国、韓国では、暗くなるとこの十字架に赤い電気が灯り、教会の存在をより一層…
エフェソ 1章
天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。 エフェソの信徒への手紙 1章4節
聖なる者
教会に通っている人たち、いわゆるクリスチャンのことを「聖徒」と呼びます。つまり、「聖なる者」です。教会は、聖徒の交わり、聖なる者の共同体です。しかし、その実態は、決して、聖いと呼べるようなものではあ…
ヨハネ 10章
「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。…わたしは羊のために命を捨てる。」 ヨハネによる福音書 10章14節~15節
イエス・キリストの羊
イエス・キリストは、私たちにとって、永遠の大牧者であり、良い羊飼いです。 私たちは、キリストを知る前は、自分の思い通りに、気の向くままに生活していました。自分の力で牧草のある所、水のあるところを見つけ…
1ヨハネ 3章
これによって、わたしたちは自分が真理に属していることを知り、神の御前で安心できます。 ヨハネの手紙一 3章19節
救いの確信
イエス・キリストを信じる信仰を告白する者には、神の御前に義と認められ、神の怒りと呪いから解放されて、永遠の命と復活の恵み、御国を受け継ぐ等の恵みが約束されています。他方、私たちがこれらの恵みと祝福に…
ローマ 12章
わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。 ローマの信徒への手紙 12章:6節~7節
賜物を分かち合う恵み
聖徒の交わりは、キリストを頭とする教会に連なる一人ひとりが、「主キリストとこの方のあらゆる富と賜物にあずかって」キリストの体を形作ることで成り立っています。何の才能も賜物も与えられていない人は一人も…
ローマ 7章
わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。 ローマの信徒への手紙 7章24節~25節
罪のゆるし
私たちは、知らないうちに人を傷つけたり、何気ない言動で人をつまずかせてしまったりしていることがあります。逆に私たち自身が親しい人からの心ない言葉によって立ち上がることができないような痛手を被ることも…
詩編 103編
主は天に御座を固く据え
主権をもってすべてを統治される。 詩編 103編19節
神の主権
日本キリスト改革派教会は、創立の年(1946年)に「創立宣言」を表明しました。わたしが、神戸改革派神学校に入学する前、ある先輩の教師から半年間、毎週金曜日の夜、創立宣言を教えていただいたことを今でも忘れ…
ルカ 23章
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。 ルカによる福音書 23章43節
魂はキリストのもとへ
主イエスにより四日市教会に牧師として遣わされ、間もなく丸12年になろうしています。その間、20名の信仰と人生の先輩たちの葬儀式を司式させていただきました。献身的に教会を支えてくださった兄弟姉妹たちとの別…
1コリント 15章
この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。
「死は勝利にのみ込まれた」。 コリントの信徒への手紙一 15章54節
死は勝利にのみ込まれた
この世の中で絶対に間違いのない統計があるのをご存じでしょうか。作家のサマセット・モームは言いました。「人間の死亡率は100パーセントである」と。確かにこの世の中に不死身の人間は存在しません。そうすると、…
1ヨハネ 3章
しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき、御子をありのままに見るからです。 ヨハネの手紙一 3章2節
御子に似た者となる
今、私たちは、肉眼で御子を見ることはできません。しかし、御子が再臨なさり、私たちに復活の体が与えられる時には、その肉眼で御子を見ることができます。その同じ肉眼で、御子に似た者とされた自分自身はもちろ…
使徒言行録1章9節には、弟子の前でイエス・キリストが天にあげられたこと、弟子たちはイエスを雲に覆われて見えなくなるまで見つめていたことが書かれています。弟子たちは本当に驚いたことでしょう。それゆえ、二…