御子に似た者となる | ヨハネの手紙一 3章

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ヨハネの手紙一 3章

しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。なぜなら、そのとき、御子をありのままに見るからです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨハネの手紙一 3章2節

御子に似た者となる

今、私たちは、肉眼で御子を見ることはできません。しかし、御子が再臨なさり、私たちに復活の体が与えられる時には、その肉眼で御子を見ることができます。その同じ肉眼で、御子に似た者とされた自分自身はもちろん、信仰の兄弟姉妹も見ることができます。

わたしの一番の楽しみは、やはり、主イエスとお会いすることですが、ペトロやパウロ、カルヴァン、果てはアブラハム、ダビデのような信仰の兄たちを見ることです。御子の「ありのまま」のお姿とはどのようなものでしょうか。また、その御子に似た者とされる信仰の兄たち、私たちの姿とはどのようなものでしょうか。想像は尽きません。

私たちは、やがて、この地上に完成する神の国において、御子イエスに似た者となることが約束されています。つまり、それは御子のように神を愛し、人を愛する者とされるということです。この世では、不一致、分裂が絶えません。しかし、神の国では、男女の差はもちろん、賜物の違いなどいろんな多様性がありますが、御子にある一致と平和が実現します。御子に喜んで従い、互いに真心込めて仕え合うのです。

長谷川 潤(四日市教会)