再臨のキリストを待ち望む | 詩編 8章

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詩編 8章

被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 8章23節

再臨のキリストを待ち望む

『ハイデルベルク』問52では、再臨のキリストによる慰めが教えられています。

使徒パウロは、「将来の栄光」について記しています。現在、キリストと共に苦しむことが、将来、キリストが再臨された時に、その栄光に入れられる希望となると(ロマ8章18~30節)。

今、教会は、被造世界と共に、罪ゆえに虚無に服している面があります。迫害と苦難に伴う悲しみは避けられません。しかし、希望があります。十字架のキリストは復活され、昇天されましたが、再び来ると約束してくださいました。その時に私たちの救いが成就します。被造世界が再創造を願い、うめいているように、神の子である私たちも、この体が完全に贖われる日をうめき、待ち望んでいます。

神の子とされ、御国でキリストと共に栄光の中で、主を賛美している自分の姿を想像できませんが、今の苦しみから解放されることはうれしいことです。キリスト者といえども、この世では罪人であり、罪を犯すことは必然であるというこの世の惨めさから解放されるのです。何とキリストの再臨は待ち望ましいことでしょう。

足立 正範(上諏訪湖畔教会)