リジョイス聖書日課 2017年2月

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2017年2月の聖書日課

エゼキエル 18章

「罪を犯した本人が死ぬのであって、子は父の罪を負わず、父もまた子の罪を負うことはない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものである。」 エゼキエル書 18章20節

身代わりになることができる方

地震や津波で若い命が失われたとき、助かった年配者は、「代われるものなら代わってやりたい」とつらい思いになります。ましてそれが家族なら、孫をなくした祖父母は、心底、そのような気持ちになるでしょう。しか…

詩編 49編

神に対して、人は兄弟をも贖いえない。
神に身代金を払うことはできない。
魂を贖う値は高く
とこしえに、払い終えることはない。
人は永遠に生きようか。
墓穴を見ずにすむであろうか。 詩編 49編8節~10節

生涯を取り返してくださる方

詩編49編は、罪に対する厳しい罰を語っています。私たちの犯した罪は、取り返しのつかないものです。罪を犯した事実は一生消えません。ところが、神の目に、取り返しのつく方法が一つだけあります。キリストの生涯…

ヘブライ 2章

それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。 ヘブライ人への手紙 2章17節

神とわたしを結ぶ方

「ヘブライ人への手紙」は、「大祭司」という職務から、イエス・キリストの働きを説明しています。一般に祭司は、民の罪を償うために、いけにえの儀式をして、神に執り成す人たちですが、「大祭司」はただ一人であ…

イザヤ 9章

ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。 イザヤ書 9章5節~6節

神との平和を創り出す方

イザヤ書前半は、メシアが「指導者、神、父、王」と称され、勇ましいのですが、40章からの後半は、四つの「僕の歌」を中心に、メシアの苦難が語られています。 福音書では、主イエスがメシアとしてのお働きを開始さ…

列王上 21章

ナボトはアハブに、「先祖から伝わる嗣業の土地を譲ることなど、主にかけてわたしにはできません」と言った。 列王記上 21章3節

ナボトのぶどう畑

イズレエル人であったナボトは、アハブ王の宮殿のすぐ近くにぶどう畑を持っていました。そのナボトに対して、王は畑を譲ってくれと話を持ちかけました。引き替えに、ナボトにはより良い畑を与えることを約束しまし…

1ペトロ 3章

キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。 ペトロの手紙一 3章18節

正しいまことの人、イエス

神は絶対的に正しい方ですから、罪には償いが求められます。従って、私たちが救われるためには、私たち自身が自らの罪の責任をすべて負い、償うか、あるいは、正しい誰かが、私たちに代わって罰を受け、私たちの罪…

ヨハネ 3章

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 ヨハネによる福音書 3章16節

まことの神、イエス

主イエスの十字架を思うと胸が痛み、イザヤ書53章の「苦難の僕」を思わずにはおられません。見るべき面影はなく、軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、刺し貫かれ、打ち砕かれ、懲らしめられ、捕らえら…

1テモテ 2章

神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。 テモテへの手紙一 2章5節

完全な仲保者イエス

ユダヤ議会で尋問された時、ペトロは主イエスについて敢然と言いました。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」(使4…

創世記 3章

「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。」 創世記 3章15節

悪魔の頭を砕く主イエス

私たちは、イエス・キリストが2千年前、世に来られ、私たちのために十字架で命を献げ、悪魔に勝利されたことを教えられています。 これは歴史の中で、いきなり起こったのでしょうか。いいえ、神の見事なご計画と準…

レビ 1章

牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる。奉納者は…臨在の幕屋の入り口にそれを引いて行き、手を献げ物とする牛の頭に置くと、それは、その人の罪を贖う儀式を行うものとして受け入れられる。 レビ記 3章4節

身代りの犠牲-イエス-

レビ記の最初の数章には、人の罪の贖いを初めとして、動物犠牲についての規定が続きます。奉納者は無傷の雄を臨在の幕屋の入り口に引いていき、動物の頭に手を置き、それを屠り、祭司が血を祭壇の側面に注ぎかける…

ガラテヤ 4章

時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。 ガラテヤの信徒への手紙 4:4

神の時が満ちて

人を罪と悲惨から救うことのできる救い主は、まことの人でありつつまことの神でなければなりません。このような条件を満たせる救い主に、人が自ら成ることはできません。しかし、神は、聖なる福音によって、「御自…

1ペトロ 2章

すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、皇帝を敬いなさい。 ペトロの手紙一 2章17節

神を畏れる

ペトロは手紙の中で、神の僕として生きるように勧めています。信仰者は天の国を目指す旅人です。ですから、天を目指すものとしてふさわしい歩みが求められています。 この地上を歩む上で、教会と国家の問題を避けて…

マタイ 7章

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 マタイによる福音書 7章13節~14節

狭い門から入りなさい

「人生は選択の連続である」とよく言われます。人生はまるで道のようなものであり、至る所に分岐点があり、その分岐点にぶつかるごとに、どちらの道を進むのかを選択しなければならない。そして、その人が今立って…

マルコ 5章

さて、ここに12年間も出血の止まらない女がいた。…イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。 マルコによる福音書 5章25節~2節8

信頼して大胆に出て行く

群衆が主イエスに押し迫っている中、12年間も出血が止まらず苦しんでいた一人の女性が「群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れ」ました。この女性は、主イエスについての良い知らせ(福音)を聞き、主イエ…

ヨハネ 5章

「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」 ヨハネによる福音書 5章39節

聖書はイエスを証しするもの

ユダヤ人たちは旧約聖書の中に永遠の命があると思って、熱心に旧約聖書を研究しました。しかし、彼らの聖書研究には大きな欠陥がありました。旧約聖書が「永遠の命を与える方」として指し示している主イエスを、受…

マタイ 16章

シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」 マタイによる福音書 16章16節~17節

あなたにこのことを現したのは

主イエスが弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねられたとき、シモン・ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白しました。彼は、どのようにして主イエスの本当の姿を正しく知るこ…

エフェソ 2章

なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。 エフェソの信徒への手紙 2章10節

新しく神に造られたもの

聖書の神は、私たちに「善い業」をするよう命じる前に、私たちを新しく造り変えてくださいます。「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリス…

ヨハネ 20章

このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。 ヨハネによる福音書 20章30節~31節

キリスト者が信じるべき最も大切なこと

ヨハネによる福音書は、主イエスが「キリスト」、すなわち約束されたメシアであるばかりでなく、父のみもとから遣わされた神の子であることも教えています。この方を信じるとは「永遠の命」を受けるということでも…

マタイ 28章

「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイによる福音書 28章20節

宣教に生きる教会

イエス・キリストは復活の後、地上で40日の間、弟子たちと過ごされました。そして、天にあげられる前に弟子たちに対して宣教の御業を託されました。そして聖霊を通してキリストご自身が弟子たちと共にいることを約…

ヨハネ 15章

わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。 ヨハネによる福音書 15章26節

三位一体と使徒信条

ハイデルベルク信仰問答 問24の答えは、「第一に、父なる神と、わたしたちの創造について、第二に、子なる神と、わたしたちの贖いについて、第三に、聖霊なる神と、わたしたちの聖化について」です。この答えのよう…

エフェソ 4章

主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。 エフェソの信徒への手紙 4章5節

三位一体と信仰生活

「神が御自身について、父、子、聖霊、三つの位格が、唯一まことの永遠の神であると、御言葉において啓示なさいました」(ハイデルベルク信仰問答 問25の答・要約)。真理の霊であられる聖霊が、私たちに、御言葉を…

マタイ 28章

彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。 マタイによる福音書 28章19節~20節

三位一体と洗礼

洗礼は、神と受洗者との間で結ぶ契約の儀式です。受洗者がキリストに結び合わされ、神の民の一員となるという身分を確認する契約です。主イエスは、このような洗礼を父と子と聖霊の名によって受けるようにと命じら…

2コリント 13章

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。 コリントの信徒への手紙二 13章13節

三位一体と交わり

パウロは、主イエスの十字架による救いの恵みと、独り子をお与えになるほどにこの世を愛された神の愛が、共にあるようにと、コリント教会の信徒を祝福しました。そして、最後に、聖霊の交わりをも願いました。聖霊…

ヨハネ 17章

あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 ヨハネによる福音書 17章22節

三位一体と信徒の交わり

主イエスは、神からいただいた「栄光」を私たちに与えてくださいました。なぜなら、父、子、聖霊が一つであるように、私たちも「一つになる」ためです。つまり、私たちは神の栄光によって一つになるわけです。では…

ルカ 4章

「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。」 ルカによる福音書 4章18節

三位一体と宣教

父なる神が、ご自身の霊を主イエスに注がれたのは、貧しい人に福音を告げ知らせるためでした。そして、実際に、主イエスは、洗礼を受けられた時、鳩のように降ってきた神の霊をいただき、福音を告げ知らせました。…

2テモテ 2章

この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。 テモテへの手紙二 2章9節

神の言葉はつながれていない

獄中にいたパウロは、弟子であるテモテに対して教えを与えます。キリストの恵みによって強くなること(2テモ2章1節)。パウロと共に苦しみを忍ぶこと(同2章3節)。キリストのことを思い起こすこと(同2章8節)。こ…

使徒 14章

「あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。」 使徒言行録 14章15節

偶像を離れ、創造主に立ち帰れ

ある姉妹が、ある時、ふと信仰の証しをしてくださったことがあります。人生に悩み、生きる目的が分からなくなっていた時に聖書と出会い、旧約聖書の初めの言葉「初めに、神は天地を創造された」を読んで、ここに答…

詩編 104編

彼らはすべて、あなたに望みをおき
ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。 詩編 104編27節

地球を丸ごと養われる神

有名な讃美歌「輝く日を仰ぐとき」(讃美歌21226番)はこう歌っています。「輝く日を仰ぐとき、月星ながむるとき、雷鳴りわたるとき、森にて鳥の音を聞き、そびゆる山にのぼり、谷間のきよき流れに、まことのみ神を…