詩編 49編
神に対して、人は兄弟をも贖いえない。
神に身代金を払うことはできない。
魂を贖う値は高く
とこしえに、払い終えることはない。
人は永遠に生きようか。
墓穴を見ずにすむであろうか。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 49編8節~10節
神に対して、人は兄弟をも贖いえない。
神に身代金を払うことはできない。
魂を贖う値は高く
とこしえに、払い終えることはない。
人は永遠に生きようか。
墓穴を見ずにすむであろうか。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 49編8節~10節
2017年2月の聖書日課をまとめて表示します。
「詩編」の聖書日課をまとめて表示します。
熊田 雄二が担当した聖書日課をまとめて表示します。
詩編49編は、罪に対する厳しい罰を語っています。私たちの犯した罪は、取り返しのつかないものです。罪を犯した事実は一生消えません。ところが、神の目に、取り返しのつく方法が一つだけあります。キリストの生涯がわたしのものになることです。
キリストの生涯は、神の律法が要求する愛を完全に行うものでした。人となった神の御子はわたしを「兄弟」と呼んでくださいました。ゆえに、神は、このわたしをも、キリストにあって、「神の子」と呼んでくださいます。
そして、キリストの死は、私たちの律法違反の罪を「神に対して」完全に贖い、「とこしえに払い終えること」を成し遂げてくださいました。したがって、私たちは「墓穴を見ずにすむ」のです。人の「魂を贖う値」とは、キリストがご自分の命をかけるほど高価なものだったのです。
そのように、神は、わたしをキリストに結び合わせて「わたしの目にあなたは価高く、貴く」(イザ43章4節)と言ってくださいます。わたしの生涯は取り返しがつきます。神が、わたしをキリストの復活に結び合わせて再創造してくださるのですから。