リジョイス聖書日課 2021年7月

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2021年7月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  8月分配信中

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  8月分配信中

耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。

月刊誌 『リジョイス』PDF版 8月号配信中

月刊誌 『リジョイス』PDF版 8月号配信中

パソコンやタブレットで読める、月刊誌 『リジョイス』PDF版の配信を行っています。当ホームページで配信している聖書日課だけはなく、1冊全部を読むことができます。

カルヴィニズムる人たち 2021年7月

カルヴィニズムる人たち 2021年7月

2021年7月の「カルヴィニズムる人たち」は江古田教会会員の細内一典さんです。趣味でスケッチを書き留め、個展を開いたりされています。

わたしの街のこの教会 Vol.53 上諏訪湖畔教会

わたしの街のこの教会 Vol.53 上諏訪湖畔教会

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2021年7月は長野県諏訪市 にある「上諏訪湖畔教会」です。

列王上 10章

ソロモン王は世界中の王の中で最も大いなる富と知恵を有し、全世界の人々が、神がソロモンの心にお授けになった知恵を聞くために、彼に拝謁を求めた。 列王記上 10章23節~24節

大いなる富と知恵

イスラエルの王ソロモンには「最も大いなる富と知恵」とが与えられました。彼の周りは、「銀は値打ちのないものと見なされ」るほどに純金で溢れていました(21節)。 ソロモンの名声を聞きつけてエルサレムを訪れた…

列王上 11章

「彼の息子には一部族を与え、わたしの名を置くためにわたしが選んだ都エルサレムで、わが僕ダビデのともし火がわたしの前に絶えず燃え続けるようにする。」 列王記上 11章36節

ダビデのともし火

「栄華を極めた」と言われるほどに神の祝福を大いに受けたソロモン王。けれどもここには神に対するソロモンの悲惨な応答が記されています。 ソロモンは千人の妻をめとり、彼女たちが信奉する神々のために礼拝所を築…

列王上 12章

彼は1体をベテルに、もう1体をダンに置いた。この事は罪の源となった。 列王記上 12章29節~30節

罪の源

分裂してしまったイスラエル王国。その大部分をネバトの子ヤロブアムが治めることになります。あろうことか彼は、王権を振るうために金の子牛を2体造り、礼拝の対象とします。これは、「いかなる像も造ってはならな…

マルコ 5章21-43節

「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
…そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。 マルコによる福音書 5章23節~24節、41節

死を超える力

ヤイロの娘と出血の止まらない女性が登場します。ヤイロの娘は12歳でした。出血の止まらない女性は12年間苦しんでいました。肉体的な苦しみだけではなく、社会生活から疎外された苦しみがあったでしょう。12年間が…

列王上 13章

「わたしが死んだら、神の人を葬った墓にわたしを葬り、あの人の骨のそばにわたしの骨を納めてくれ。あの人が、主の言葉に従ってべテルにある祭壇とサマリアの町々にあるすべての聖なる高台の神殿に向かって呼びかけた言葉は、必ず成就するからだ。」 列王記上 13章31節~32節

自らも御言葉に聞き従う

ダビデ契約を重んじないレハブアムに対し、神はヤロブアムを用いて北イスラエル王国を興されます。しかし彼は、主の言葉に聴き従わず、モーセ律法を無視し、金の子牛礼拝を勧め、好みで祭司を立ててしまいます。 ヤ…

列王上 14章

「あなたは立って家に帰るがよい。あなたが足を町に踏み入れるとき、あなたの子は死ぬ。イスラエルのすべての人々はこの子を弔い、葬るだろう。まことにヤロブアムに属する者で墓に入るのは、この子一人であろう。」 列王記上 14章12節~13節

神こそが国を建て、引き抜かれるお方

一国の王であっても、跡取り息子の重い病に向き合って慌てない親はいないでしょう。その親とは北イスラエル王国のヤロブアム王その人でした。早速、彼は、妻に変装させて神のみ告げを聞きに行くように命じます。 先…

列王上 15-16章

アサは、父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼をその地から追放し、先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた。…聖なる高台は取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった。 列王記上 15章11節、14節

せっかくの善政も空しい

北イスラエル王国では次々と王が入れ替わり、謀反によって前政権が転覆させられる中、南ユダ王国のアサ王が、唯一主の目にかなう王であったと記されています。 彼は、見過ごされていたモーセ律法を遵守し、神殿男娼…

列王上 17章

エリヤは言った。…「なぜならイスラエルの神、主はこう言われる。
主が地の面に雨を降らせる日まで
壺の粉は尽きることなく
瓶の油はなくならない。」
…女はエリヤに言った。「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口にある主の言葉は真実です。」 列王記上 17章13節~14節、24節

主の御言葉は真実です

北イスラエル王国7代目のアハブ王のもとに預言者エリヤが神から遣わされます。それは、アハブが北イスラエル初代のヤロブアムの罪に倣うだけでなく、シドンの王エトバウルの娘イゼベルを妻に迎えてバアル宗教を積極…

列王上 18章

「わたしに答えてください。主よ、わたしに答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたが神であり、彼らの心を元に返したのは、あなたであることを知るでしょう。」 列王記上 18章37節

主こそイスラエルの神

カルメル山上での、エリヤただ一人とバアル預言者450名及びアシェラ預言者400名との、熾烈な信仰的闘いの場面です。神の警告として厳しい飢饉が起こったにもかかわらず、なおアハブ王はじめイスラエルの人たちは神…

列王上 19章

彼は1本のえにしだの木の下に来て座り、自分の命が絶えるのを願って言った。「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」 列王記上 19章4節

伝道の熱心と失意

異教のバアル預言者との信仰的戦いに大勝利を賜ったエリヤでしたが、アハブ王と妻イゼベルの執拗な迫害を恐れ、ユダの荒れ野に逃れます。そして、もはや主の預言者としての使命を果たせないと、主に嘆願します。 け…

マルコ 6章1-13節

12人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。 マルコによる福音書 6章12節

伝道の心得

主イエスは、故郷のナザレでも福音を宣べ伝えられました。けれども、受け入れられず、主イエスは「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」とおっしゃいました。 それに続く十二弟子の派遣…

列王上 20章

見よ、一人の預言者がイスラエルの王アハブに近づいてこう言った。「主はこう言われる。『この大軍のすべてをよく見たか。わたしは今日これをあなたの手に渡す。こうしてあなたは、わたしこそ主であることを知る。』」 列王記上 20章13節

信じるとは従うこと

アラムの王ベン・ハダドが北イスラエルに戦いを挑んできました。イスラエルの王アハブはその要求に全面的に屈従しています(4節)。アハブは、ベン・ハダドの攻撃に際して神の託宣を求めません。神が預言者を遣わし…

列王上 21章

「アハブがわたしの前にへりくだったのを見たか。彼がわたしの前にへりくだったので、わたしは彼が生きている間は災いをくださない。その子の時代になってから、彼の家に災いをくだす。」 列王記上 21章29節

計り知れない神の憐れみ深さ

サマリアの王アハブは、ナボトのぶどう畑を欲しました。その要請をナボトは断ります。自分の利害や都合のためではありません。「地は永代に売ってはならない。地はわたしのものだからである」とのおきてに従ったか…

列王上 22章

イスラエルの王はヨシャファトに言った。「あなたに言ったとおりではありませんか。彼はわたしに幸運ではなく、災いばかり預言するのです。」だがミカヤは続けた。「主の言葉をよく聞きなさい。わたしは主が御座に座し、天の万軍がその左右に立っているのを見ました。」 列王記上 22章18節~19節

神の言葉は生きている

ユダの王ヨシャファトは、イスラエル王のアハブに、アラム人の手からギレアドの町を奪い返すための協力を求められました。ヨシャファトは「主の言葉を求め」ることを提案します(5節)。集められた預言者たちは「主…

詩編 82編

「弱者や孤児のために裁きを行い
苦しむ人、乏しい人の正しさを認めよ。
弱い人、貧しい人を救い
神に逆らう者の手から助け出せ。」 詩編 82編3節~4節

まことの裁き主である神

聖書の教えは、唯一まことの神だけを神とする唯一神教です。その聖書に、神々があたかも存在するような表現があるのに戸惑います(1節)。実際にはいないのですから、結局のところ、神々とはそれを生み出す人間その…

詩編 83編

神よ、沈黙しないでください。
黙していないでください。
静まっていないでください。
御覧ください、敵が騒ぎ立っています。
あなたを憎む者は頭を上げています。 詩編 83編2節~3節

神の雄弁な沈黙

神は沈黙を守っておられるのでしょうか。この問いは信仰者にとってとても大きな問いです。苦しみの中にあるとき、とりわけ自分の信仰に敵対する人たちから受ける辱めの中にあるとき、神が何も答えてくださらないよ…

詩編 84編

あなたの庭で過ごす1日は千日にまさる恵みです。
主に逆らう者の天幕で長らえるよりは
わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。 詩編 84編11節

神と共に生きる幸い

きょうの詩編の出だしは、こんな言葉で始まります。「万軍の主よ、あなたのいますところは、どれほど愛されていることでしょう」。では、まことの神がいますところとはどこでしょう。続く言葉の中に「主の庭」「祭…

マルコ 6章14-29節

ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。 マルコによる福音書 6章18節

洗礼者ヨハネの最後

主イエスの福音宣教、また十二弟子の派遣によって、主イエスのことがヘロデの知るところとなりました。「洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」という人びとの言葉を聞いて、ヘロデは自分が首をはねたヨハネ…

詩編 85編

主は平和を宣言されます
御自分の民に、主の慈しみに生きる人々に
彼らが愚かなふるまいに戻らないように。
主を畏れる人に救いは近く
栄光はわたしたちの地にとどまるでしょう。 詩編 85編9節~10節

主は平和を宣言される

きょうの詩編は、バビロン捕囚からの解放の時代を背景としています。エルサレムへ帰還することは、捕囚の民にとって長年の願いでした。捕囚からの解放は、ただ故郷に帰ることができるという喜びだけではありません…

詩編 86編

主よ、あなたの道をお教えください。
わたしはあなたのまことの中を歩みます。
御名を畏れ敬うことができるように
一筋の心をわたしにお与えください。 詩編 86編11節

一筋の心を

きょうの詩編を味わうには、三つのことを念頭に置いて読み進めてみてください。 まず、この詩編の作者にとって神はどんなお方なのでしょう。それは、恵み深く、お赦しになるお方、呼び求めれば、必ず答えてくださる…

詩編 87編

主は諸国の民を数え、書き記される
この都で生まれた者、と。
歌う者も踊る者も共に言う
「わたしの源はすべてあなたの中にある」と。 詩編 87編6節~7節

同じ神の民とされる幸い

きょうの詩編に出てくる聖なる山「シオン」を文字通りの意味に理解し、そこに建てられた都エルサレムが世界の中心となるようにと、今なお期待すべきでしょうか。確かにこの詩編が書かれたときには、その期待は大き…

詩編 88編

主よ、わたしを救ってくださる神よ
昼は、助けを求めて叫び
夜も、御前におります。 詩編 88編2節

深い苦悩の中での祈り

きょうの詩編は、朝起きて読むには、あまりにも重苦しい内容です。終わりに向かって光が見えてくるどころか、結びの言葉はさらに深刻です。「今、わたしに親しいのは暗闇だけです」(19節)。苦しみが未解決のまま…

詩編 89編

それでもなお、わたしは慈しみを彼から取り去らず
わたしの真実をむなしくすることはない
契約を破ることをせず
わたしの唇から出た言葉を変えることはない。 詩編 89編34節~35節

それでもなお

きょうの詩編は、39節を境に雰囲気ががらりと変わります。前半は神の契約に対する信頼と期待が表明されています。後半はバビロンに連れ去られた捕囚の時代が背景にあるのでしょう。直面している厳しい苦難が描かれ…

詩編 90編

主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。 詩編 90編1節

神のみもとで憩うこと

表題に「祈り。神の人モーセの詩」とあるのは、長年の災いを体験したとあるので、長生きしたモーセに違いないと考えたからでしょう。 印象に残るのは、詩人が3節以降で、「人生のはかなさ」を嘆いていることです。…

マルコ 6章30-34,53-56節

イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。 マルコによる福音書 6章34節

深い憐れみ

十二弟子が伝道から帰って来ました。ここでは「使徒たち」と言われています(30節)。主イエスによって派遣されて伝道したことを報告しているからでしょう。 主イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所に行…

詩編 91編

「彼はわたしを慕う者だから
彼を災いから逃れさせよう。
わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。
彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え
苦難の襲うとき、彼と共にいて助け
彼に名誉を与えよう。」 詩編 91編14節~15節

神の守りがある幸い

この詩編は、主イエスの「荒れ野の誘惑」で、サタンが11節と12節を引用したことで知られています。サタンの解釈はまったく間違っています。この箇所は、どんな無茶な行為をしても神が必ず支えてくださるという意味…

詩編 92編

いかに楽しいことでしょう
主に感謝をささげることは
いと高き神よ、御名をほめ歌い
朝ごとに、あなたの慈しみを
夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは 詩編 92編2~3節

主への賛美は喜び

詩人はまっすぐに神を礼拝することが「楽しい」と言っています。「楽しい」と訳されている言葉は、原文では「良い」という言葉です。 この日本のような社会で礼拝に継続的に出席し続けることには、だれにとっても、…

詩編 93編

主こそ王。
威厳を衣とし、力を衣とし
身に帯びられる。
世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。
御座はいにしえより固く据えられ、あなたはとこしえの昔からいます。 詩編 93編1節~2節

神の御座は永遠

「主こそ王」と、この詩編の冒頭で語られています。この主題は、94編を例外として、このあとも99編、あるいは100編まで続きます。この詩編ではとくに、主が「威厳を衣とし、力を衣として身に帯びられる」お方である…

詩編 94編

主がわたしの助けとなってくださらなければ
わたしの魂は沈黙の中に伏していたでしょう。
「足がよろめく」とわたしが言ったとき
主よ、あなたの慈しみが支えてくれました。
わたしの胸が思い煩いに占められたとき
あなたの慰めが
わたしの魂の楽しみとなりました。 詩編 94編17節~19節

神が助けとなってくださる

この詩は、基本的に「報復を求める祈り」です。「こんなものがあるなんて」と思われた方もいらっしゃるでしょう。新約聖書の倫理からすると抵抗感が生じますが、こう考えてみると良いのではないかと思います。苦悶…

列王下 1章

王は更に3人目の五十人隊の長とその部下50人を遣わした。3人目の五十人隊の長は上って来て、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人よ、どうかわたしの命と、あなたの僕であるこの50人の命を助けてください。」 列王記下 1章13節

神の人

王から預言者エリヤのところに五十人隊が2回遣わされましたが、2回とも天からの火で滅ぼされてしまいました。3回目の五十人隊は、隊長が恐れてひざまずいたので助かりました。 ソロモンは神の恵みによって知恵と富…

列王下 2-3章

エリヤはエリシャに、「主はわたしをベテルにまでお遣わしになるが、あなたはここにとどまっていなさい」と言った。しかしエリシャは、「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。わたしはあなたを離れません」と答えたので、二人はベテルに下って行った。 列王記下 2章2節

わたしはあなたを離れません

エリシャがエリヤの後を継ぐ時が来たのですが、なぜかエリヤはエリシャを突き放します。エリシャは、「絶対離れません」とついて行きます。 また、なぜか他の預言者たちもエリヤがきょう主に取り去られることを知っ…