主への賛美は喜び | 詩編 92編

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詩編 92編

いかに楽しいことでしょう
主に感謝をささげることは
いと高き神よ、御名をほめ歌い
朝ごとに、あなたの慈しみを
夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 92編2~3節

主への賛美は喜び

詩人はまっすぐに神を礼拝することが「楽しい」と言っています。「楽しい」と訳されている言葉は、原文では「良い」という言葉です。

この日本のような社会で礼拝に継続的に出席し続けることには、だれにとっても、さまざまな困難があるでしょう。しかし、ただ礼拝への出席ということだけではありません。「義務」や「責任」でただそこにいるということも起こってしまいます。

しかしながら、詩人は言います。礼拝は人のために「良いこと」なのだと。人の幸福のためなのだと。それは神の「慈しみ」と「まこと」を覚え、ほめたたえるためでもあります。さらにはそれを「述べ(宣べ)伝える」という目的までもが語られています。

「慈しみ」と「まこと」は旧約聖書で繰り返し出てくる言葉です。どちらも契約に基づくもので、神が忠実で私たちに示す恵みと愛を変えないことを意味します。これがあるので、私たちは、なつめやしのように茂り、レバノン杉のように胸を張ってまっすぐ立つことができます。神の愛が注がれています。このことが悪いはずがありません。とても良いことです。

高内 義宣(津島教会)