神の守りがある幸い | 詩編 91編

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詩編 91編

「彼はわたしを慕う者だから
彼を災いから逃れさせよう。
わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。
彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え
苦難の襲うとき、彼と共にいて助け
彼に名誉を与えよう。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 91編14節~15節

神の守りがある幸い

この詩編は、主イエスの「荒れ野の誘惑」で、サタンが11節と12節を引用したことで知られています。サタンの解釈はまったく間違っています。この箇所は、どんな無茶な行為をしても神が必ず支えてくださるという意味ではありません。そのような理解は神を試みて、神に挑むことであり、旧約聖書で明白に禁じられていることです(申6章16節)。

この詩編が描いているのは、おそらく出エジプトをした後の荒れ野の旅路のことです。神がつまずきを避け、隠れた危険を退けてくださっていたことを言っています。神が日常の中で、私たちには見えていない数多くの守りを与えてくださっていることが明らかにされています。これはとても大切な認識です。必要とするときに神が助けてくださらないと不満に思ったことがなかったでしょうか。私たちの望みがかなわなければ守りはないのでしょうか。

そうではありません。私たちには見えていないだけで、守りは確かで豊かなのだと神ご自身が約束してくださっています。神はあなたを愛しておられます。だから守っていてくださいます。

高内 義宣(津島教会)