せっかくの善政も空しい | 列王記上 15-16章

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列王記上 15-16章

アサは、父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、神殿男娼をその地から追放し、先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた。…聖なる高台は取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 列王記上 15章11節、14節

せっかくの善政も空しい

北イスラエル王国では次々と王が入れ替わり、謀反によって前政権が転覆させられる中、南ユダ王国のアサ王が、唯一主の目にかなう王であったと記されています。

彼は、見過ごされていたモーセ律法を遵守し、神殿男娼を追放し、アシェラ像を切り倒して、ユダの民を偶像崇拝の罪の虜から救い出しました。「聖なる高台(異教の神の礼拝所)は取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった」と言われます(14節)。

そこには、彼の神への敬いや熱心だけでなく、神ご自身の父祖ダビデに対する契約への誠実と憐れみとがあったからです。

しかしながら、このアサ王の改革は1代限りで、次のヨシャファト王には受け継がれず、再び南ユダ王国も北イスラエル同様の不信仰な有り様に陥ってしまいました。

私たちも上に立つ為政者のための執り成しと、果すべき義務があることを覚えます。なぜならその背後に主権者であられる神の御心と神による恵みのご支配とがあるからです。このことを畏れ、主を心から崇め仕える者とされたく願います。

山下 朋彦(平和の君伝道所)