リジョイス聖書日課 2018年7月

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2018年7月の聖書日課

マタイ 10章40-42節

「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」 マタイによる福音書 10章42節

主イエスを拒んでいる世に福音を

主イエスは、ご自分が派遣された弟子たちを受け入れることは、主イエスを受け入れることであり、主イエスご自身を受け入れることは、主イエスを遣わされた主なる神を受け入れることであると言われました(40節)。…

ローマ 3章

人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。 ローマの信徒への手紙 3章23節~24節

贖いの恵み

イエス・キリストは罪なきお方でした。そのお方が十字架につけられて死なれました。十字架は罪の刑罰です。罪なきお方が罪の刑罰を受けられた。なぜそのようなことが起こったのでしょうか。 イエス・キリストは、私…

ローマ 4章

死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。 ローマの信徒への手紙 4章17節

復活信仰

復活信仰とは「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神」を信じる信仰です。すなわち、罪と死の支配の中ではじめて生き生きと働く信仰です。信じる者が無一物になってはじめて、圧倒的な力で…

ローマ 5章

しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。 ローマの信徒への手紙 5章15節

第二のアダム

最初の人間、全人類の代表、典型的人間、まさに「人間」そのものであるアダムから、罪と死が人類に入りました。しかし、聖書はもうひとりのアダム、すなわちキリストについても語ります。救いの秘義があきらかにさ…

ローマ 6章

わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。 ローマの信徒への手紙 6章4節

新しい命

キリストにある新しい命とは、キリストに結ばれた命です。洗礼によって人はキリストに合わせられ、文字どおり一つに結ばれます。 まず最初に、それはキリストの死にあずかることです。キリストが十字架の上に死なれ…

ローマ 7章

わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。 ローマの信徒への手紙 7章24節

人間の惨めさ

パウロはここで、人間の本来的な惨めさについて語ります。それは、自分の望む善を行わず、望まない悪を行っているとの自己矛盾、自己分裂の中に身を置いていることの惨めさです。自分のうちに罪が住み着いている。…

ローマ 8章

わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。 ローマの信徒への手紙 8章38節~39節

勝利の歌

私たちを神の愛、キリストの愛から引き離そうとするこの世のもろもろの力が存在します。しかし、それらの力のすべてを結集しても到底及ばない絶大な力があります。それは、「わたしたちの主キリスト・イエスによっ…

マタイ 11章16-19,25-30節

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」 マタイによる福音書 11章28節~30節

福音によって踊るように

主イエスが福音の「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった」人たちがいました。それは、御声に反応しなかった人びとの姿を描いています。ユダヤ人は自分たちの伝統に縛られて、真の知恵者イエスのお招きを拒んでしま…

ローマ 9章

このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。 ローマの信徒への手紙 9章18節

神のはからい

パウロは異邦人伝道のために召された人でした。そのパウロが目の当たりにしていたのは、異邦人たちがキリストを信じ、受け入れている一方で、イスラエル人たちが福音を拒んでいるという現実でした。神の選びの民が…

ローマ 10章

実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。 ローマの信徒への手紙 10章17節

信仰は聞くことによる

信仰は人間の内なる何かによって生み出されるのではありません。人間が積み上げる功績や、何かの宗教体験によって生じるのでもありません。信仰はキリストから来ます。キリストが私たちに近づいてくださる。そのキ…

ローマ 11章

折り取られた枝に対して誇ってはなりません。…ユダヤ人は、不信仰のために折り取られましたが、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。…神の慈しみと厳しさを考えなさい。…もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう。 ローマの信徒への手紙 11章18節~22節

思い上がってはならない

「ユダヤ人は聖書をあれほどよく知っているのに、なぜイエスをメシアだと信じないのか」という批判をしばしばキリスト者の口から聞きます。そういう意識に対して、「思い上がってはならない」と戒められています。…

ローマ 12章

あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。 ローマの信徒への手紙 12章2節

思い上がらないために

12章から愛が説かれていきます。異邦人キリスト者が神の選びを誤解して、ユダヤ人を見下さないようにするためです。11章で思い上がってはならない、と教えられました。そのためにこの章では、「わきまえよ」と教え…

ローマ 13章

互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。 ローマの信徒への手紙 13章8節、10節

だれに対しても

思い上がることをやめ、自分が見下している者を受け入れ、愛することを教えられてきました。では自分より上の者、支配者に対してはどうでしょうか。 支配者が同じ信仰者でないときには、1節の「今ある権威はすべて…

ローマ 14章

神の国は、…聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。 ローマの信徒への手紙 14章17節~19節

互いに裁き合わないようにしよう

どうして私たちは互いに比較して、自分と考え方や習慣の違う者をなかなか受け入れることができないのでしょうか。それはきっと自分を中心にして判断してしまうからです。 折りにふれ、自分の心に聖霊は宿っているの…

マタイ 13章1-9,18-23節

「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは60倍、あるものは30倍の実を結ぶのである。」 マタイによる福音書 13章23節

福音の実を結ぶために

御国の福音は、時には盛んな歓迎を受けますし、時には人々から拒まれたり、退けられたりもします。 福音を聞いても関心がない人がいれば、自分の外から来る圧迫に屈したり、世のことに心が引っ張られて、福音に対し…

ローマ 15章

だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。 ローマの信徒への手紙 15章7節

互いに相手を受け入れるために

自分と違う相手を受け入れることがどれほど難しいことか、主イエス・キリストはよくご存じです。「神」が「人」を受け入れる。これほど大きな違いを主イエス・キリストは乗り越えて、私たちを受け入れてくださいま…

ローマ 16章

どうか、聖なる者たちにふさわしく、また、主に結ばれている者らしく彼女を迎え入れ、あなたがたの助けを必要とするなら、どんなことでも助けてあげてください。 ローマの信徒への手紙 16章2節

主に結ばれている者らしく

ローマの信徒への手紙を読んできました。いよいよ最後の章です。一人で読む時、この16章を読み飛ばしてしまうことはありませんか。最後まで丁寧に読んでみましょう。パウロが繰り返し「互いを愛し、受け入れよ」と…

出エジプト 1-2章

そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、国民に警告した。 出エジプト記 1章8節~9節

変化を求める神

私たちは変化を恐れています。だから、きょうも昨日と同じような日になればよいのにと思って新しい日を始めようとします。明日もきょうのような日が続けばよいと願って寝床に入ります。それは毎日幸せを実感してい…

出エジプト 3章

「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」 出エジプト記 3章10節

神の約束を忘れてはならない

メーテルリンクの童話『青い鳥』の主人公チルチルとミチルは幸せの青い鳥を捜す旅に出発します。しかし、彼らはその旅では青い鳥を捕まえることができませんでした。実は青い鳥は彼らの家の鳥かごに最初からいたの…

出エジプト 4章

モーセは、なおも言った。「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください。」 出エジプト記 4章13節

神を見るのか自分を見るのか

自分を顧みることを忘れる人は同じような失敗を繰り返します。ですから私たちが人生で自分を見つめることは大切なことかもしれません。しかし、もし私たちが自分ばかりを見つめて毎日を生活していたらどうなってし…

出エジプト 5章

「わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ってから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません。」 出エジプト記 5章23節

悪い結果に出会ったときに

多くの犠牲を払って神に従う決心をしたのに、結果は思った通りのものではなかった。むしろ、状況は以前よりもますます悪くなったように思える。信仰生活を続ける中でそのような思いにさせられるときがあります。そ…

マタイ 13章24-30,36-43節

「人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」 マタイによる福音書 13章41節~43節

「主の日」まで耐えながら

今、世の中に御国が成し遂げられつつあります。しかし、麦と毒麦のたとえのように、世にはなおも御国の子らと悪い者の子らとが共に混じり合いながら生きています。両者が区別されるのは主イエスが再び来られる時、…

出エジプト 6章

モーセは主に訴えた。「御覧のとおり、イスラエルの人々でさえわたしに聞こうとしないのに、どうしてファラオが唇に割礼のないわたしの言うことを聞くでしょうか。」 出エジプト記 6章12節

誰も聞いてくれなくても……

イスラエルの民は重労働のために、モーセが伝える神のメッセージに耳を傾けることができませんでした。 私たちも、神の福音を人びとに伝えようとするとき、同様の体験をすることがあります。人びとは自分の生活を維…

出エジプト 7-8章

ファラオに語ったとき、モーセは80歳、アロンは83歳であった。 出エジプト記 7章7節

残された命と神からの使命

安政5年11月、西郷隆盛は、かねてから親交のあった尊王攘夷派の僧侶月照と共に鹿児島の錦江湾で入水自殺を遂げようとしました。安政の大獄によりその命を狙われていた友人月照の命を助けるために、西郷の故郷であっ…

出エジプト 9-10章

主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である。それは、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、…わたしが主であることをあなたたちが知るためである。」 出エジプト記 10章1節~2節

人びとの頑迷と神のしるし

「ファラオを頑迷にしたのは主ご自身だ」と言われているのは、「だからファラオには罪がない」と言う意味ではありません。これはファラオの犯した罪さえも用いて救いの歴史を導かれる神の御業の確かさを表していま…

出エジプト 11章

「あなたは、民に告げ、男も女もそれぞれ隣人から金銀の装飾品を求めさせるがよい。」 出エジプト記 11章2節

出発への準備

わたしの亡くなった母はかなりの心配性でした。わたしが遠足や旅行に出発する前夜になると、「これもあれも必要だ」と言ってさまざまな品物をわたしのリュックに詰め込んでいきます。おかげでわたしのリュックはい…

出エジプト 12章

エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。」 出エジプト記 12章1節~2節

時間と余裕はどこから得られるのか

忙しい毎日、頭を悩ませるさまざまな問題。朝起きた瞬間から、私たちの脳裏にはきょうしなければならない仕事が浮かんできて離れません。「忙しいので聖書を読む時間さえありません」。「余裕がなくて教会にも出席…

出エジプト 13章

「あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトから出たとき、主がわたしのために行われたことのゆえである』と。」 出エジプト記 13章8節

受け継がれた信仰

以前、中国の東北部にある朝鮮人教会を訪れた方から聞いた話を思い出します。 一人の脱北者男性がその教会で洗礼を受けました。その男性は母親を亡くした後に、その母親の遺品の中から大事にしまわれていた聖書と賛…

マタイ 13章31-33,44-52節

「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」 マタイによる福音書 13章44節

天の国の秘密を人びとに

主イエスは「天の国は…に似ている」と、さまざまな比喩を用いて言われました。 天の国は、「からし種」のように極めて小さく始まりますが、その結果はとても大きな御国になります。天の国の力は、小さな「パン種」…

出エジプト 14章

ファラオは既に間近に迫り、イスラエルの人々が目を上げて見ると、エジプト軍は既に背後に襲いかかろうとしていた。 出エジプト記 14章10節

行くべき道が見いだせないとき

前方では葦の海が行く手を阻み、後方にはファラオの軍隊が迫っていました。イスラエルの民は前に進むことも後ろに戻ることもできず、絶体絶命の状態に陥りました。「我々を連れ出したのは荒れ野で死なせるためか」…

出エジプト 15章

モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。
主に向かってわたしは歌おう。
主は大いなる威光を現し
馬と乗り手を海に投げ込まれた。 出エジプト記 15章1節

賛美を通して与えられる力

モーセとイスラセルの民は葦の海で経験した神の御業を思い、賛美の歌をうたいました。彼らは熱狂と興奮の中で喜びに満たされながら神を賛美したのです。 賛美について考えるとき、わたしはいつも亡くなられた古川第…