マタイによる福音書 11章16-19,25-30節
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 11章28節~30節
福音によって踊るように
張 在珖(小倉教会)
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 11章28節~30節
張 在珖(小倉教会)
2018年7月の聖書日課をまとめて表示します。
「マタイによる福音書」の聖書日課をまとめて表示します。
張 在珖が担当した聖書日課をまとめて表示します。
主イエスが福音の「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった」人たちがいました。それは、御声に反応しなかった人びとの姿を描いています。ユダヤ人は自分たちの伝統に縛られて、真の知恵者イエスのお招きを拒んでしまいました(11章25~27節)。
主イエスは、いつも「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい」と人びとをお招きになります。その招きは単に聖書について学ぶことではなく、その御言葉を語られた主イエスご自身との人格的な関係への招きです。ですから、主イエスの招きは、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と言われます。私たちはただ主イエスの内で真の休みを享受して、主イエスとの人格的関係の内で生きるものとされています。主イエスに従う軛は負いやすく、主イエスから与えられるキリスト者の荷は軽いからです。
私たちは福音の時代に生きています。しかし、伝統や民族文化や世の常識に縛られて、真の安息を知らずに生きる人びとがいます。この方たちが主イエスの内で休めるよう、福音を伝えて歩みましょう。