ローマの信徒への手紙 3章
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ローマの信徒への手紙 3章23節~24節
贖いの恵み
木下 裕也(岐阜加納教会)
人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ローマの信徒への手紙 3章23節~24節
木下 裕也(岐阜加納教会)
2018年7月の聖書日課をまとめて表示します。
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イエス・キリストは罪なきお方でした。そのお方が十字架につけられて死なれました。十字架は罪の刑罰です。罪なきお方が罪の刑罰を受けられた。なぜそのようなことが起こったのでしょうか。
イエス・キリストは、私たちの身代わりとなって、十字架の上で尊い血潮を流されました。神の子キリストは私たち罪人のひとりに数えられ、私たちの罪の現実のただ中に入って来られました。そして私たちの死をその身に引き受け、死なれました。
キリストの死は、私たちのための贖いの死でした。罪の代価を支払うべきは、本当は私たち自身のはずでした。しかし、神は私たちを憐れみ、愛する独り子を十字架に死なせ、自らこの尊い代価を支払ってくださったのです。
独り子を死なせるほどの愛。この神の愛ゆえに、私たちは罪と死の牢獄から釈放され、自由の身となったのです。ここに命があり、ここに救いがある。天来の言葉、すなわち、天から語られる言葉に教えられることによってのみ、私たちはこの恵みの真理に至るのです。