神に受け入れられているわたし | ローマの信徒への手紙 4章

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ローマの信徒への手紙 4章

イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ローマの信徒への手紙 4章25節

神に受け入れられているわたし

きょうの言葉の前提となっているのはアブラハムの歩みです。ご存じの通り、アブラハムには神によって祝福の約束が与えられていましたが、百歳になるまで子どもは与えられませんでした。そのままでは、約束の成就の見込みはありませんでした。

しかし、そのようなアブラハムは一つのことを信じていました。それは神こそは「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる」(ロマ4章17節)そのような方であるということです。そして期待しようがない状況において神と共に歩んだアブラハムはそのあり方が義(神に受け入れられた者)とされたのでした。

ところで、信仰によるこのような生き方は、一人アブラハムだけのものではないと、パウロは言います(同4章23、24節)。私たちは、罪にとらえられているという意味で、見込みのない者です。キリストは、死をもって罪を贖い、また、復活において命に呼び出されることによって、見込みのない者が新しく生きる姿を実際に示してくださいました。私たちもこの主の復活を信じて義とされ、永遠の命を手にしています。

杉山 昌樹(上福岡教会)