身代わりの死と私たちの死 | テサロニケの信徒への手紙一 5章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

テサロニケの信徒への手紙一 5章

神は、わたしたちを…主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです。主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テサロニケの信徒への手紙一 5章9節~10節

身代わりの死と私たちの死

自分だけは死なないと錯覚している人がいます。それでいて死んだらすべては終わりだと決めつけていたりします。

神の愛は徹底して、神から離れている私たちを常に待ってくれている放蕩息子の父親と重なります。わたしが奉仕している学校で、生徒たちから聖書の時間に「神が愛なら、滅びの道を置いているのはおかしいのではないか」という質問を受けます。

神は私たちを見放されません。神から離れている私たちの間に立って、近づくことさえできない罪人を招いて執り成してくださるのがイエス・キリストです。主イエスに飛び込んだらよいのですが、罪の故に信じられず、頭の中で神は不平等だ、理不尽だと決めてしまいます。そこに人間の悲惨さがあります。地獄に行くのはまっぴらごめんであっても、神の国へ行くのはもっと嫌だと言っているようなものです。

神の子イエス・キリストは、「わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるため」に命を注いでくださったのです。救われた私たちがともに、励まし合い、お互いの向上に心がけるためです(11節)。

中山 仰(花見川伝道所)