ポンテオ・ピラトのもとに | コリントの信徒への手紙二 5章

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コリントの信徒への手紙二 5章

罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙二 5章21節

ポンテオ・ピラトのもとに

主イエス・キリストが十字架で苦しみを受け、死を遂げられたことは歴史的な事実です。もしこのことが人類の歴史の中で起こった出来事でないとしたら、キリスト教の救いは絵空事にすぎません。どんなに論理的に正しい教えでも、それが起こらなかった事実の上に成り立っているのであれば、信じるに値しません。

使徒信条には、ここだけ場違いと思える歴史的な人物の名前、ポンテオ・ピラトの名前が出てきます。この人こそキリストの裁判で重要な鍵を握っていた人物です。人間的な言い方をすれば、主イエスを赦すことも処罰することもこの人の手の中にありました。

しかし歴史は、人間の思うように進んでいるようでも、実はそうではありませんでした。主イエスを十字架にかけようとするユダヤ人の思惑も、それにうまく対処しようとするピラトの思惑も、それぞれ満たされたように見えて、実は神の深いご計画だけが実現していました。

罪のない主イエスを十字架に引き渡すことによって、神の義を受け取ることができるようにと神はされたのです。その救いの実現の痕跡は歴史の中に刻まれています。

山下 正雄(RCJ メディア・ミニストリー)