コリントの信徒への手紙一 15章
死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 15章16節~17節
罪からの自由
杉山 昌樹(上福岡教会)
死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 15章16節~17節
杉山 昌樹(上福岡教会)
2017年4月の聖書日課をまとめて表示します。
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コリントの教会には、主イエスの復活を信じきれない人たちが存在したようです。私たちもまた、復活ということを身近に感じられないような気がする時があるかもしれません。それに対してパウロは、復活とはそもそも私たちに何をもたらしたのかと問いかけています。それにどう答えるかが、私たちの信仰それ自体の価値あるいは意味を左右します。
パウロははっきりといいます。もし、ただ「かつて主イエスというすばらしい人がいてくださった、ということだけに望みをかけているのであればそれは惨めなことだ」と(1コリ15章19節参照)。なぜなら、もしそうであれば、きょうのところにあるとおり、私たちは未だに罪の中にあることになるからです。
パウロがいうところの「罪の中にある」とは、私たちが神と敵対し、神の民ではないということです。しかし、主イエスは十字架の死で私たちの罪を贖い、そればかりではなく、復活によって、神の御前で生きる新しい生き方の道をも開いてくださいました。それゆえ私たちはきょうも罪の人ではなく、神の民として歩むのです。