2023年3月の聖書日課
月刊誌 『リジョイス』PDF版 4月号配信中
月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括 4月分配信中
耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。
わたしの街のこの教会 Vol.70 東仙台教会
毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2023年3月は宮城県仙台市にある「東仙台教会」です。
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毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2023年3月は宮城県仙台市にある「東仙台教会」です。
「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。」 歴代誌下 10章4節
ソロモン王の後を継いで、その子レハブアムが王となりました。そのため、ソロモンの過酷な労役に反旗を翻し、エジプトに亡命していたヤロブアムも王の下に戻ってきました。王が変われば、政治が良くなると期待し…
「主はこう言われる。上って行くな。あなたたちの兄弟に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ。」 歴代誌下 11章4節
ヤロブアムとイスラエルの部族が反乱を起こしたことに激怒したレハブアム王は、「ユダとベニヤミンの家からえり抜きの戦士18万を召集し、イスラエルに戦いを挑み、王国を奪還して自分のものにしようと」しました…
「イスラエルの人々よ、勝ち目はないのだから、あなたたちの先祖の神、主と戦ってはならない。」 歴代誌下 13章12節
南ユダの国ではレハブアムが死に、その子アビヤが王になりました。しかし、レハブアムの時代から続いているヤロブアムとの戦いは続きました。そして、ヤロブアムが王となった北イスラエルの方が、兵士も多く、よ…
諭しを受け入れて、正義と裁きと公平に目覚めるため。 箴言 1章3節
特定の団体と無関係であることが、社会正義であるかのように語られます。その団体を反社会的と見るからです。公正な判断基準が定まらない場合、社会は混迷を深めます。何をもって社会正義とするか。これを見極め…
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 ヨハネによる福音書 3章16節
ニコデモは夜の訪問者です。ユダヤ教ファリサイ派の教師であり律法評議会の議員でしたが、その頃、ファリサイ派は次第に主イエスに敵対するようになりつつありました。彼は、同僚や人びとの目を恐れ、堂々と昼間…
「主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。」 歴代誌下 16章9節
ユダの国ではアビヤの死後、アサが王となりました。アサもまた父アビヤのように、主の目にかなう正しく善い政治を行いました。彼はユダの国から偶像礼拝の祭壇を取り除き、「ユダの人々に先祖の神、主を求め、律法…
「彼はわたしに幸運を預言することがなく、いつも災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です。」
歴代誌下 18章7節
ユダの国では、アサの後を継いで、その子ヨシャファトが王となりました。彼もアサと同様、主の戒めに従って歩み、主は、ヨシャファトを祝福し、彼を富み栄えさせました。 彼の失敗は、主から離れたイスラエルと同盟…
「神よ、…わたしたちには、攻めてくるこの大軍を迎え撃つ力はなく、何をなすべきか分からず、ただあなたを仰ぐことしかできません。」
歴代誌下 20章12節
アラムとの戦いによって、イスラエルの王アハブは死にましたが、ユダの王ヨシャファトは主に助けを求めて、無事にエルサレムに戻ることができました。ただ、アハブ王との同盟は主の御心に適うことではありませんで…
主は、…、ダビデの家を滅ぼそうとはされなかった。主は、ダビデとその子孫に絶えずともし火を与えると約束されたからである。
歴代誌下 21章7節
ヨシャファトは、主の御心に適う善い政治を行い、彼が王の時代、ユダの国は安定し、繁栄していました。しかし、ヨシャファトの死後、長男のヨラムが王となるとユダの国は殺戮と混乱の時代に突入します。 ヨラムは、…
こうして、国の民は皆喜び祝った。アタルヤが剣で殺された後、町は平穏であった。
歴代誌下 23章21節
箴言12章3節に「神に逆らえば、固く立つことはできない。神に従う人の根は揺らぐことがない」と約束されています。そのとおりに、アハズヤの母アタルヤは、しばらくの間、王の座を手に入れていましたが、惨めな最期…
また、あなたは悟るであろう
正義と裁きと公平はすべて幸いに導く、と。 箴言 2章9節
正統的で公同的なキリスト教。その信徒を自負する人びとは、私たちも含めて、反社会的集団とは関係がないと公言してきました。ならば、自らの内にも有り得る反社会性に無自覚であることは許されません。 牧会に関す…
「目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。」 ヨハネによる福音書 4章35節~36節
この章は、主イエスのサマリア伝道の物語です。当時、ユダヤ人はサマリア人を蔑んでいました。ユダヤ人にとって、サマリア人は純粋なイスラエルの血統ではなく、正しい信仰を失っていると思われたのです。ユダヤ人…
彼らを主に立ち帰らせるため、預言者が次々と遣わされた。しかし、彼らは戒められても耳を貸さなかった。 歴代誌下 24章19節
7歳で王となったヨアシュは、彼の助言者であり、養父とも言うべき祭司ヨヤダが生きている間は、主の目にかなう正しいことを行いました。40年にわたる治世の前半では、神殿修復という特筆すべき事業を成し遂げてもい…
主はそのアマツヤに対して怒りに燃え、預言者を遣わされ…言った。「あなたの手から自分の民を救えなかった神々を、どうしてあなたは求めるのか。」 歴代誌下 25章15節
箴言6章に、主が「心からいとわれるものが七つある」と列挙されているものがあります(16~19節)。その第一に挙げられているのが「驕り高ぶる目」です。 アマツヤ王は、嘆かわしいことにこの驕り高ぶる目の持ち主…
神を畏れ敬うことを諭したゼカルヤが生きている間は、彼も主を求めるように努めた。彼が主を求めている間、神は彼を繁栄させられた。
歴代誌下 26章5節
ウジヤ王はたいへん優れた王でした。外に向かっては、近隣諸国を平定し、貢ぎ物を献上させます。内に対しては、荒れ野の開拓をはじめ農業生産を飛躍的に向上させ、また、国の守りを強固にしました。 勢力を増し加え…
ヨタムは主なる神の御前をたゆまず歩き続けたので、勢力を増すことができた。
歴代誌下 27章6節
2節に「民は依然として堕落していた」とあります。その堕落の深刻さは、同時代に生きた預言者イザヤの言葉から知ることができます。「支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり、皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。孤…
アハズは主の神殿、王宮、高官の家の財産を一部アッシリアの王に差し出したが、何の助けにもならなかった。
歴代誌下 28章21節
「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる」と御言葉は教えています(エレ17章9節)。祝福の源である主に徹底して背き、破滅をもたらすものでしかない神々に助けを求め続けたアハズ王に、この御言葉が重なりま…
自分自身を知恵ある者と見るな。
主を畏れ、悪を避けよ。 箴言 3章7節
親の宗教の影響下に生まれ育ち、親の信仰を無批判に受け入れてきた子らが、勇気をもって「宗教二世、信仰二世」を名乗り、市民に理解と救済を求めています。その窮状はさまざまですが、信教の自由について、深刻な…
イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」 ヨハネによる福音書 9章39節
主イエスは39節で言われます。「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」。 愛の神がおられること、この神が私たちを救うために主イエスを世に遣わされたことを知るならば、世界の見方が変わ…
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 創世記 2章8節
神は6日間にわたって天地を創造され、最後に人間を造ってくださいました。そのこと自体が神の人間への愛の奉仕と言えます。「神の国」は神が人間に愛をもって仕えてくださることをもって始まりました。そして人間は…
律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」 ルカによる福音書 10章37節
律法の実行を命じられた律法学者は、「では、わたしの隣人とはだれですか」と問いました。彼は愛の対象である隣人と、愛さなくてもよい敵を区別して、自分を正当化しようとしたのです。そのときに主イエスが語られ…
「あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」 ルカによる福音書 9章48節
主イエスの弟子たちはしばしば「自分たちのうちだれがいちばん偉いか」ということを議論しました。この世では偉い人たちが権力を振るって民を支配するということが起こりがちですが、主イエスの弟子たちでさえ、そ…
「しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
ルカによる福音書 10章42節
主イエスはベタニア村にお入りになりました。そこにいるある家族を訪ねるためです。住人のマルタはさっそく、主イエスを家に迎え入れました。 マルタには妹のマリアがいました。主イエスを迎え入れた二人の様子は対…
「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」 ルカによる福音書 11章9節
根性論やスポ根は古い時代の価値観のように思われて久しいのですが、何かを一生懸命に行うということは決して悪いことではありません。私たちの救いは神から一方的に与えられるものですが、救いに入った私たちが懸…
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。」
ルカによる福音書 12章22節
夜遅くまで起きていることが多いので朝ご飯を食べることはあまりありません。そうなると昼前にはお腹が減ります。そこで、何を食べようかいろいろと考えます。食べたら食べたで甘いものを食べたいなぁと思う始末。…
「わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」
ヨハネによる福音書 11章42節
次週から受難週に入ります。その後、教会はイースターを迎えます。イースターは、十字架の上で死なれた主イエスが、3日目によみがえられたことを記念する教会の祝日です。しかしそれだけではなく、私たちもまたイエ…
「それは、からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る。」 ルカによる福音書 13章19節
以前、アメリカに滞在したときに夕食会に招かれました。そこにはアメリカ人の牧師もおられたのですが、ある先生がこのように言ってくださいました。「日本の教会はからし種のようかもしれません。でも安心してくだ…
「…わたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。」 ルカによる福音書 14章26節
25節から33節までに「わたしの弟子ではありえない」が3回繰り返されています。キリストの弟子にはキリストの弟子らしさが求められるのです。後をついてきた大勢の人に対して、主イエスは弟子とはどのように生きるも…
「100匹の羊を持っている人がいて、その1匹を見失ったとすれば、99匹を野原に残して、見失った1匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。」 ルカによる福音書 15章4節
羊ほど弱い家畜はいません。他の家畜とは違い、羊は身を守るものを何一つ持っていません。速く走って敵から逃れることもできず、自分のもと居た場所に戻ることができる本能が弱いので、すぐに迷い出てしまいます。…
「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」
ルカによる福音書 16章13節
神はその人の心を見ておられると、主イエスは言われています。その人の心の底にある思いを神は見抜いておられるのです。ですから、人がたとえ他人から知られないよう、どんなに巧妙に本心を隠していたとしても、神…
「自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
ルカによる福音書 17章10節
このたとえで登場する僕とは主イエスの弟子たちのことです。弟子たちばかりでなく私たちも主イエスの僕です。主イエスと私たちクリスチャンは「主人」と「僕」の関係です。 「取るに足りない」は「価値のない」と同…
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