クリスチャンの信仰は異口同音 | 箴言 3章

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箴言 3章

自分自身を知恵ある者と見るな。
主を畏れ、悪を避けよ。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 箴言 3章7節

クリスチャンの信仰は異口同音

親の宗教の影響下に生まれ育ち、親の信仰を無批判に受け入れてきた子らが、勇気をもって「宗教二世、信仰二世」を名乗り、市民に理解と救済を求めています。その窮状はさまざまですが、信教の自由について、深刻な問いが投げかけられています。ジャーナリズムによって理解が深められ、弁護によって救済が拡げられるよう、願ってやみません。

私たちもけっして他人事ではありません。似たような被害者に、あるいは加害者にさえ成り得るからです。宗教に限らず、あらゆる反社会的勢力によって自由を束縛され、人権を蹂躙された人は大勢います。愛をもってその声に耳を傾け、良き理解者となり、救済のために奉仕することが、クリスチャンに期待されます。

愛と自由のディアコニアを可能にするのは、クリスチャンの信仰です。私たちの信仰は、「異口同音」の信仰です。イエスという方への愛と信頼に基づく「人格的信仰」です。イエスの僕となることへの同意に基づく「契約的信仰」です。イエスを主と呼ぶ聖書の知識に基づく「理性的信仰」です。「心を尽くして主に信頼し、…どのような道を歩むときにも主を知れ。…それはあなたの体の癒やしとなり、あなたの骨の潤いとなる」(3章5~8節、聖書協会共同訳)。

【祈り】

家族のいる家、神のいます聖所から引き離された人を癒やしたもう主よ、あなたの救いのわざに信頼します。

二宮 創(太田伝道所)