リジョイス聖書日課 2018年5月

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2018年5月の聖書日課

1テモテ 2章

そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。 テモテへの手紙一 2章1節

祈りによって誰かと共に

「祈るしかないですね」という言葉を聞くことがあります。けれども、本当に祈っているでしょうか。くよくよするだけで、祈らずに終わってしまうことはないでしょうか。祈ることができないのは、ひょっとすると、他…

1テモテ 3章

神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。 テモテへの手紙一 3章15節

主イエスの道を歩もう

主イエスはご自身を「道であり、真理であり、命である」とおっしゃいました(ヨハ14章6節)。私たちは主イエスを信じて、道である主イエスに従う歩みをいたします。その道は、主イエス・キリストの体である教会と一…

1テモテ 4章

わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです。
…聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい。 テモテへの手紙一 4章10節、13節

生ける神に希望を置く

伝道する中で、もっとああすればよかった、と思うことが多々あります。失敗をし、くよくよしては、自分を責め、誰かを責めたくなります。 そのようなわたしに先輩牧師が言葉をかけてくださいました。「伝道は失敗の…

1テモテ 5章

老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。 テモテへの手紙一 5章1節~2節

尊敬と愛をもって諭す

互いに赦し合うことは大切です。けれども、誰かの過ちに気づいたときに、それを放っておくことはよくありません。その人のためにならないばかりか、神の栄光が汚されることになりかねません。過ちに気づいたら、尊…

1テモテ 6章

不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物惜しみをせず、喜んで分け与えるように。 テモテへの手紙一 6章17節~18節

神に献げることの喜び

信仰の戦いの一つに、富にしがみつこうとする自分との戦いがあります。その戦いを放棄すると、この世の価値観によって信仰が無意識の内に蝕まれてしまいます。 ある長老がおっしゃっていました。「富を用いる判断基…

ヨハネ 14章1-14節

「はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。」 ヨハネによる福音書 14章12節

ペンテコステ(1)もっと大きな業を

5月第3主日にペンテコステを迎えます。今月の主の日はペンテコステを感謝して、聖霊降臨の御業について学びます。 本日の箇所は、主イエスが十字架につけられる直前の告別説教です。十字架の死を目前にして、主イエ…

イザヤ 40章

ヤコブよ、なぜ言うのか
イスラエルよ、なぜ断言するのか
わたしの道は主に隠されている、と
わたしの裁きは神に忘れられた、と。 イザヤ書 40章27節

力強い慰め

神の民は、自らの罪のゆえに捕囚の憂き目にあっています。絶望、不信、あきらめ、さまざまな思いにとらわれていたことでしょう。そこに、主からの慰めの言葉が語られます。その慰めの言葉が気休めで終わらないため…

イザヤ 41章

恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
たじろぐな、わたしはあなたの神。
勢いを与えてあなたを助け
わたしの救いの右の手であなたを支える。 イザヤ書 41章10節

わたしはあなたと共にいる神

ユダ王国を滅ぼしたバビロンは、ペルシアのキュロス王によって滅ぼされます。キュロス王によってユダヤの民は解放され、国の再建へと向かいます。そのような歴史の動きに対して、この41章は、「王たちを従わせたの…

イザヤ 42章

見よ、初めのことは成就した。
新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前に
わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。 イザヤ書 42章9節

新しいことをわたしは告げよう

神に選ばれたイスラエルの民は、本来、神の僕として、諸国に神の道を示す役割を果たすべきでした。ところが、そのイスラエル自身が神に背を向けてしまい、かたくなになってしまいました(18~25節)。 天地創造の神…

イザヤ 43章

わたし、このわたしは、わたし自身のために
あなたの背きの罪をぬぐい
あなたの罪を思い出さないことにする。 イザヤ書 43章25節

あなたの背きの罪をぬぐい

イザヤ書は、神の救いを語ったかと思うと、イスラエルのかたくなさを語り、また再び神の救いを語るという対比を通して、神の救いの恵みを明らかにしています。 43章では、「あなたの罪」に対して「わたしが救う」こ…

イザヤ 44章

わたしはあなたの背きを雲のように
罪を霧のように吹き払った。
わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。
天よ、喜び歌え、主のなさったことを。
地の底よ、喜びの叫びをあげよ。 イザヤ書 44章22節~23節

わたしはあなたを贖った

「偶像を形づくる者は皆、無力で、彼らが慕うものも役に立たない」とあり、偶像を造り、拝む者の愚かさが示されます(9~20節)。それに対して、まことの神は「あなたを造り、母の胎内に形づくり、あなたを助ける主…

イザヤ 45章

日の昇るところから日の沈むところまで
人々は知るようになる
わたしのほかは、むなしいものだ、と。
わたしが主、ほかにはいない。
光を造り、闇を創造し
平和をもたらし、災いを創造する者。
わたしが主、これらのことをするものである。 イザヤ書 45章6節~7節

わたしが主、ほかにはいない

主は、異教の国ペルシアのキュロス王をご自身の器として立てられます。キュロスを立てた目的が三つ記されています。一つはキュロス王自身が主を知るため(3節)、二つめはイスラエルが解放され、救われるため(4節…

ヨハネ 14章15-21節

「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」 ヨハネによる福音書 14章18節~19節

ペンテコステ(2)みなしごではない

主イエスは、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」と約束されます。 聖霊が降って、福音宣教へと遣わされた初代教会は、四方八方から迫害を受けて、確かに「みなしご」のような存在でした。しかし、…

イザヤ 46章

わたしの恵みの業を、わたしは近く成し遂げる。
もはや遠くはない。
わたしは遅れることなく救いをもたらす。
わたしはシオンに救いを
イスラエルにわたしの輝きを与えることにした。 イザヤ書 46章13節

救いをもたらす生ける神

イザヤ書の後半では、何度も偶像について取り上げられています。「背く者よ、反省せよ」と呼びかけられるように、偶像のことは決して侮れない問題なのです(8節)。 二つのことによって、まことの神が示されていま…

イザヤ 47章

お前は平然と悪事をし
「見ている者はない」と言っていた。
お前の知恵と知識がお前を誤らせ
お前は心に言っていた
わたしだけ
わたしのほかにはだれもいない、と。 イザヤ書 47章10節

まことの知恵と知識

神に背いたユダヤを裁くために、神の器としてバビロンが用いられました。今度はバビロンが神に裁かれ、滅ぼされます。その理由は、「わたしだけ、わたしのほかにはだれもいない」と、本来神ご自身だけが言うことの…

イザヤ 48章

イスラエルの聖なる神
あなたを贖う主はこう言われる。
わたしは主、あなたの神
わたしはあなたを教えて力をもたせ
あなたを導いて道を行かせる。
わたしの戒めに耳を傾けるなら
あなたの平和は大河のように
恵みは海の波のようになる。 イザヤ書 48章17節~18節

平和と恵みの主

イスラエルの名をもって呼ばれる民は、名ばかりでかたくなな民になっていました。何か事が起こると理屈をこね、「わたしは知っていた」と言ったり、偶像がそれを起こしたと言ったりするような状態でした。 その民に…

イザヤ 49章

あなたを虐げる者に自らの肉を食わせ
新しい酒に酔うように自らの血に酔わせる。
すべて肉なる者は知るようになる
わたしは主、あなたを救い、あなたを贖う
ヤコブの力ある者であることを。 イザヤ書 49章26節

あなたを贖う神

ビロンによってエルサレムは破壊され、荒れ果てました。不当な侵略だったなら、神に訴えることができたでしょう。しかし、原因は自分たちの背信にありました。それでシオンは言いました。「主はわたしを見捨てられ…

イザヤ 50章

お前たちのうちにいるであろうか
主を畏れ、主の僕の声に聞き従う者が。
闇の中を歩くときも、光のないときも
主の御名に信頼し、その神を支えとする者が。 イザヤ書 50章10節

主に信頼する

神とイスラエルの民の関係が悪化したのは、民が神の言葉に応答しなかったからです。民は、神には救い出す力がないとでも思ったのでしょうか。それに対して神は、ご自身の成し遂げた出エジプトの出来事を示して、な…

イザヤ 51章

天に向かって目を上げ
下に広がる地を見渡せ。
天が煙のように消え、地が衣のように朽ち
地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても
わたしの救いはとこしえに続き
わたしの恵みの業が絶えることはない。 イザヤ書 51章6節

絶えることのない主の恵みの業

「立ち上がれ、エルサレム。主の手から憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した都よ」(17節)。神に対する背信のゆえにバビロン捕囚という神の憤りの杯を飲まなければならなかったイスラエルに、新しい慰めの…

ヨハネ 20章19-23節

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」 ヨハネによる福音書 20章21節~22節

ペンテコステ(3)「聖霊を受けなさい」

復活の主イエスが弟子たちの前に現れて、「聖霊を受けなさい」と息を吹きかけられました。神が人を創造されたとき、「その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」とあります(創2章7節)。復…

イザヤ 52章

いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
救いを告げ
あなたの神は王となられた、と
シオンに向かって呼ばわる。 イザヤ書 52章7節

恵みの良い知らせ

かつて、戦いの勝利や新しい王の即位などの喜ばしい知らせは、伝令によって伝えられました。それで、「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良き知らせを伝える者の足は」と言われます。 今回の知らせは、神が王と…

イザヤ 53章

彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 イザヤ書 53章5節

私たちのための僕の苦難

イザヤ書の後半には、繰り返し「僕」が登場します。とくにこの章では、「わたしたち」の身代わりになる僕の姿が描かれています。新約時代に生きる私たちは、この「僕」に救い主イエス・キリストの姿を見ることがで…

イザヤ 54章

山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。 イザヤ書 54章10節

神の契約は揺らぐことがない

イスラエルは神に背いたため、神に捨てられた状態になりました。その状態が、夫に捨てられた女、また不妊の女にたとえられています。しかし、そのままで終わってしまうことはありません。 「ひととき、激しく怒って…

イザヤ 55章

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。 イザヤ書 55章8節~9節

20180524

神は言われます。「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると」。 私たちの思いは、魂が満たされることを求めて、いろいろと考えながらさまよいます。幸いや喜び、あるいは…

2テモテ 1章

神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。 テモテへの手紙二 1章7節

おくびょうの霊ではなく

神はおくびょうの霊を与えられたのではありません。おくびょうとは萎縮することです。いろいろなことにおいて、勇気を失い、恐れや不安にとらわれてしまう姿です。聖霊の恵みに信頼するとき、それらとはまったく違…

2テモテ 2章

イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。 テモテへの手紙二 2章8節

イエス・キリストのことを

いろいろなことで苦しんだり悩んだりするとき、祈れば祈るほどに苦しくなることがあります。聖書をいくら読んでも、慰めが与えられません。そのようなとき、思い出したい御言葉の一つです。 「イエス・キリストのこ…

マタイ 28章16-20節

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイによる福音書 28章20節

ペンテコステ(4)いつも共におられる神

マタイ福音書は、主イエスが「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」と約束して、弟子を派遣される場面で終わります。弟子たちにインマヌエル=「神は我々と共におられる」が約束されました(マタ1…

2テモテ 3章

あなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。 テモテへの手紙二 3章14節~15節

自分が学んで確信したこと

「終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい」と教えられています(1節)。そのような時代に、どう対応すればよいのでしょうか。 「あなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません」。学んだの…

2テモテ 4章

今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。 テモテへの手紙二 4章8節

ひたすら待ち望む人

使徒パウロは、最後の試練の中にいます。獄中にいて、苦労の多かった今までの人生を振り返りながら、最期を覚悟して過ごしています。 パウロに反対する人々がいました。けれども、彼の心は希望に満たされています。…

イザヤ 56章

また、主のもとに集って来た異邦人が
主に仕え、主の名を愛し、その僕となり
安息日を守り、それを汚すことなく
わたしの契約を固く守るなら
わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き
わたしの祈りの家の喜びの祝いに
連なることを許す。 イザヤ書 56章6節~7節

新しい神の民

56章には、安息日厳守や神殿での犠牲について、記されています。それは、旧約の視点で、神の約束が実現する終局、終末の姿を描こうとするものです。 終わりの時、本来、約束と無縁であった異邦人が新しい神の民とし…

イザヤ 57章

高く、あがめられて、永遠にいまし
その名を聖と唱えられる方がこう言われる。
わたしは、高く、聖なる所に住み
打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
へりくだる霊の人に命を得させ
打ち砕かれた心の人に命を得させる。 イザヤ書 57章15節

打ち砕かれた心

56章9~12節で、偶像礼拝にふけっていたイスラエルの民が叱責されています。彼らは神のもとに立ち帰ることがなく、神が禁じることをして、この世の享楽にふけり、神を畏れることがありません。 しかし、それはいつ…