テモテへの手紙二 1章
神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テモテへの手紙二 1章7節
おくびょうの霊ではなく
貫洞 賢次(札幌伝道所)
神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 テモテへの手紙二 1章7節
貫洞 賢次(札幌伝道所)
2018年5月の聖書日課をまとめて表示します。
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神はおくびょうの霊を与えられたのではありません。おくびょうとは萎縮することです。いろいろなことにおいて、勇気を失い、恐れや不安にとらわれてしまう姿です。聖霊の恵みに信頼するとき、それらとはまったく違う思いへと導かれることを覚えたいと思います。
キリストは世とは違った仕方で、ご自身の平安を与えてくださいます。おくびょうは、神から出てくるものではありません。神は、聖霊を通して、キリストのうちに満ちあふれていたものを与えてくださいます。それはどこまでも謙虚な力です。人知を超えた愛です。何も恐れずに忍耐強く一歩一歩進む思慮分別(自制)です。
最初から恐れもせず、臆することもないというわけではありません。人としての弱さは逃れようもありません。しかし、聖霊は、そのような人の弱さに寄り添うようにして、力、愛、思慮分別(自制)へと導いてくださいます。人の弱さに同情することができるキリストの霊です。聖霊に満たされて歩むとき、生きづらさを覚える世の中も、違った場所になり始めるのではないでしょうか。