マタイ 28章1-10節
すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」 マタイによる福音書 28章9節~10節
夜明けの出会い
創世記 25章
「二つの国民があなたの胎内に宿っており
二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。
一つの民が他の民より強くなり
兄が弟に仕えるようになる。」 創世記 25章23節
神の救いの確かさ
ヤコブと双子の兄エサウが母の胎内にいるとき、神は母リベカに、兄が弟に仕えるようになるとお告げになりました。これはアブラハムからイサクに受け継がれた神の契約の祝福を、弟ヤコブが受け継ぐことを意味します…
創世記 26章
その夜、主が現れて言われた。
「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。
恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。
わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす
わが僕アブラハムのゆえに。」 創世記 26章24節
神の恵みの担い手として生きる幸い
イサクは飢饉を逃れてペリシテ人の王アビメレクのところへ行き、神の命令によって、その土地に滞在しました。ところが、イサクは神が守ってくださることに委ねきることができず、身の安全のために妻リベカを妹だと…
創世記 27章
そこで、彼は祝福しようとして、言った。「お前は本当にわたしの子エサウなのだな。」ヤコブは、「もちろんです」と答えた。イサクは言った。「では、お前の獲物をここへ持って来なさい。それを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えよう。」 創世記 27章23節~25節
人間の罪と神のご計画
27章には、ヤコブが父イサクを騙して祝福を奪い取る場面が出てきます。 母リベカの発案で周到な偽装工作が行われました。父の好きな料理、毛皮、エサウの晴れ着…。ヤコブは、はじめは不安でしたが、父の前に出た時…
創世記 28章
「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」 創世記 28章15節
罪深い私たちを神はお見捨てにならない
ヤコブは兄エサウから逃れて、遠く伯父ラバンのところへ旅立ちました。その原因は、二度にわたって兄から長子の特権を奪い取ったことにありました。そのために兄だけでなく、父イサクをも欺いたのです。ですから、…
創世記 29-30章
ヤコブはますます豊かになり、多くの家畜や男女の奴隷、それにらくだやろばなどを持つようになった。 創世記 30章43節
実現する神のご計画
兄から逃亡したヤコブは伯父ラバンの娘ラケルに出会い、彼女との結婚を望みます。しかしラバンに騙され、ラケルの姉レアと結婚しますが、さらにラケルと結婚するために合計14年間働かされました。兄と父を欺いたヤ…
創世記 31章
「『ラバンのあなたに対する仕打ちは、すべてわたしには分かっている。わたしはベテルの神である。かつてあなたは、そこに記念碑を立てて油を注ぎ、わたしに誓願を立てたではないか。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。』」 創世記 31章12節~13節
しかし神は
ヤコブは伯父ラバンの許を去り、故郷へ帰る決意をします。豊かになったヤコブを、ラバンもその息子たちも良く思っていなかったこと、さらに神のご指示があったことが、その理由です。 ヤコブは妻たちに、「最近、気…
ヨハネ 20章19-31節
「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 ヨハネによる福音書 20章21節~23節
あなたがたを遣わす
主イエスが復活された日曜日、弟子たちはユダヤ人たちを恐れ、戸に鍵をかけ、自分たちだけで集まっていました。これは異教的環境の中に置かれた現代日本の教会の姿にも似ていないでしょうか。 しかし、復活の主は扉…
創世記 32章
「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 創世記 32章29節
神との格闘-神に砕かれる祝福-
ラバンの許を去ったヤコブは、かつて自分に騙され、自分を殺そうとした兄エサウとの再会に備えます。それはヤコブにとって極度の緊張を伴うものでした。再会のための段取りを整えたヤコブでしたが、なお不安は消え…
創世記 33-34章
ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。 創世記 33章3節~4節
神による兄弟の再会と和解
ヤコブは、兄エサウとの再会のとき、兄が4百人の者を引き連れて来るのを見て、とても緊張したと思います。ヤコブは兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏し、へりくだった姿勢で臨みました。エサウは走って来てヤコブ…
創世記 35-36章
ヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再びヤコブに現れて彼を祝福された。神は彼に言われた。
「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブと呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。」 創世記 35章9節~10節
神に取り扱われる生涯
ヤコブは神から、ベテルへ行き、そこに住み、その地に祭壇を造るように告げられました。ベテルはかつてヤコブがハランへ逃れたとき、石を枕にした彼に神が語り掛けて、彼と共にいて、必ずここへ帰らせてくださるこ…
創世記 37章
ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空で水はなかった。 創世記 37章23節~24節
神は密かに働かれる
ヤコブは、兄弟たちのなかでヨセフだけを溺愛し、兄たちは次第にヨセフを妬み、憎むようになります。ヨセフは、父や兄たちが自分を拝むようになるという夢を兄たちに語り、兄たちにひどく憤慨されます。 夢は、当時…
創世記 38章
ユダは調べて言った。
「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」 創世記 38章26節
ユダ族のはじまり
ユダはカナン人の妻をめとり、エル、オナン、シェラという三人の子をもうけます。やがて長男のエルはタマルと結婚しますが、エルは若くして主に背いて死んでしまいます。当時の掟によって次男のオナンが、タマルに…
創世記 39章
主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。 創世記 39章2節
泣きっ面に蜂の人生に
兄たちによって穴に落とされ、やがてイシュマエル人に売り渡されたヨセフは、エジプトに連れてこられています。ファラオの宮廷の役人で、侍従長をしているポティファルという人の下にいます。かつては何不自由のな…
ルカ 24章13-35節
二人が、「一緒にお泊まりください…」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。 ルカによる福音書 24章29節~31節
一緒にお泊まりください
二人の弟子が、主イエスの死について語りながらエマオ村を目指していました。そこへ突然、復活のイエスが近づき問いかけます。「その話は何のことですか」。彼らは、「イスラエルを解放するはずの力ある預言者が十…
創世記 40章
「ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。…」
ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。 創世記 40章14節~23節
忘れ去られる不安
ある神学者が「忘れ去られる不安」について語っています。私たちの生きる今日の社会は、一人の人間がそこにいることが実に簡単に忘れ去られてしまうような社会です。また、この不安は人の死の不安とも重なっていま…
創世記 41章
ヨセフはファラオに答えた。
「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」 創世記 41章16節
わたしではなく、神が
ヨセフが、エジプトに売り渡されてから13年が過ぎ、彼はもう30歳になっています。まだ彼は獄中生活を続けています。しかし、ある日突然、彼は牢獄から連れ出され、身なりを整えさせられて、ファラオの前に立たされ…
創世記 42章
彼らは同意して、互いに言った。
「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」 創世記 42章20節~21節
生きるために必要なこと
夢の解き明かしのとおり、飢饉はエジプトを、また世界の町々をも襲います。そこで大臣ヨセフは、倉を開き、蓄えた食糧を国内だけでなく、世界各地の人々に売る施策を実行します(41章)。 大飢饉は、パレスチナにも…
創世記 43章
執事は、「御安心なさい。心配することはありません。きっと、あなたたちの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう。」 創世記 43章23節
シャロームの回復
創世記のヨセフ物語にはテーマがあります。それは平和、シャロームです。信仰の家の平和の喪失と回復です。 43章では、ヨセフの兄たちは、シメオンを人質に残し、食糧を携えて父のもとに戻ります。それから再び、約…
創世記 44章
ユダが答えた。
「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。」 創世記 44章16節
ひれ伏して罪を告白する
再びエジプトに戻って来た兄たちを、ヨセフはさらに試みます。ベニヤミンがヨセフの銀の杯を盗んだと疑われるような仕掛けをして、彼らを責め立てます。そのとき兄たちは、ヨセフの前にひれ伏します。そして、兄弟…
創世記 45章
「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」 創世記 45章7節~8節
苦難の意味
ユダと兄弟たちが罪を告白したことによって、ヨセフの閉じた心が開かれます。彼はとうとう耐えきれなくなって、自分の正体を明かします。宮廷全体に響き渡るほどの声をあげて泣き出します。そして、ヨセフの口から…
ヨハネ 20章19-31節
トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて8日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。…イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 ヨハネによる福音書 20章25節~26節
聖霊を受けなさい
主イエスの復活は、十字架から数えて3日目、すなわち日曜日でした。復活の主はその日の夕方、集まっていた弟子たちに姿を現されました。しかし、トマスは、その場にいませんでした。 8日の後、つまり翌週の日曜日に…
創世記 46章
神は言われた。
「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。」 創世記 46章3節~4節
神の大いなる物語
ヨセフとの再会を果たした兄弟たちは、父ヤコブのもとに戻ります。彼らは、ヨセフが生きていることを伝えます。当然のことながら、ヤコブはヨセフと会うことを願って旅立つ決心をします。 しかし、ヤコブには不安が…
創世記 47章
ヤコブは、ファラオに答えた。
「わたしの旅路の年月は130年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」 創世記 47章9節
人は変えられる
ヤコブは、一族と共にエジプトに行き、エジプトの王ファラオの前に立ちます。王の前に立つヤコブは、飢饉から逃れてきた難民、羊飼いの老人に過ぎません。しかし、ここでヤコブは、臆することなく冷静に王に相対し…
創世記 48章
ヨセフは、父に言った。
「父上、そうではありません。これが長男ですから、右手をこれの頭の上に置いてください。」
ところが、父はそれを拒んで言った。
「いや、分かっている。わたしの子よ、わたしには分かっている。」 創世記 48章18節~19節
交差された手
主イエスは十字架の死がご自身の使命であり、預言者が語ったとおり必ず実現することをご存じでした。時が近付くと、主は弟子たちにあらかじめ知らせましたが、弟子たちには理解力がなく、もだえる主イエスと共に祈…
創世記 49章
ヤコブは息子たちに命じた。
「間もなくわたしは、先祖の列に加えられる。わたしをヘト人エフロンの畑にある洞穴に、先祖たちと共に葬ってほしい。」 創世記 49章29節
はるかに仰ぎ見る
ヤコブの死の出来事については簡潔にしか記されていません。しかし、埋葬する場所については詳しく語られています。ヤコブは、自分の遺体をどこに葬るかについて指示をして息を引き取ります。 ヤコブは、自分の遺体…
創世記 50章
ヨセフは兄弟たちに言った。
「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」 創世記 50章24節
神は必ず顧みてくださる
ヤコブの死に続いて、ヨセフの死を記して、創世記は閉じられています。ヨセフもまた最期に信仰の言葉を語ります。ヤコブは、過去に神によって与えられた約束を見つめ、約束のしるしであるマクペラの洞穴に自分を埋…
ユダ
イエス・キリストの僕で、ヤコブの兄弟であるユダから、父である神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人たちへ。 ユダの手紙 1章
神への生活を支えるもの
ヤコブの兄弟であるユダは、「わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたい」と、愛する教会に手紙をしたためました。それは、「主であるイエス・キリストを否定している」人たちがいるからです(4節)。その…
ヨハネ 10章1-10節
「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」 ヨハネによる福音書 10章9節
わたしは羊の門である
共通聖書日課は、復活節に読む個所として必ずヨハネによる福音書10章の「良い羊飼い」の御言葉を選びます。主イエスの復活の命にあずかって、主を信じて生きる生活そのものが、良い羊飼いに養われる幸いな羊の生活…
1テモテ 1章
わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。 テモテへの手紙一 1章15節~16節
神の恵みに生きる
学生時代に母教会の牧師から教えられた、大切なことがあります。「イエス様の救いはすばらしい。こんな小さな者に神様はあり余る恵みを与えてくださった」。その牧師は、教会では素朴で裏表のない、面倒見の良い父…
復活の主イエスと最初に出会ったのは、マグダラのマリアともう一人のマリアという二人のマリアでした。十字架の時、男の弟子たちは逃げ去りましたが、彼女たちはその場にとどまり、主イエスの十字架の死を見届けま…