打ち砕かれた心 | イザヤ書 57章

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イザヤ書 57章

高く、あがめられて、永遠にいまし
その名を聖と唱えられる方がこう言われる。
わたしは、高く、聖なる所に住み
打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり
へりくだる霊の人に命を得させ
打ち砕かれた心の人に命を得させる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 57章15節

打ち砕かれた心

56章9~12節で、偶像礼拝にふけっていたイスラエルの民が叱責されています。彼らは神のもとに立ち帰ることがなく、神が禁じることをして、この世の享楽にふけり、神を畏れることがありません。

しかし、それはいつまでも続くわけではありません。終わりの日に、神は大逆転を成し遂げられるからです。その日に備えて、神が用意しておられる霊的な道を知る必要があります。

それは、「へりくだる」、「打ち砕かれる」という、思わぬものでありました。この「へりくだる」や「打ち砕かれる」とは、単なる謙遜ではありません。また、抽象的に理解されるものでもありません。神の御前に打ち砕かれ倒されるというイメージだからです。

自分の罪や惨めさを知って打ち砕かれたとき、自分は神から遠いと感じるでしょう。ところが、いと高き所に住まわれる神は、そのような人のところに降りて来られます。この世はこれを矛盾とするでしょう。けれども、私たちは信仰によってこれを理解する幸いが与えられています。

神の前にへりくだることが、霊的な道を知り、命を与えられる方法なのです。

高内 義宣(津島教会)