イザヤ書 53章
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 53章5節
私たちのための僕の苦難
川杉 安美(草加松原伝道所)
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 イザヤ書 53章5節
川杉 安美(草加松原伝道所)
2018年5月の聖書日課をまとめて表示します。
「イザヤ書」の聖書日課をまとめて表示します。
川杉 安美が担当した聖書日課をまとめて表示します。
イザヤ書の後半には、繰り返し「僕」が登場します。とくにこの章では、「わたしたち」の身代わりになる僕の姿が描かれています。新約時代に生きる私たちは、この「僕」に救い主イエス・キリストの姿を見ることができます。同時にこの「わたしたち」に自分の姿を見ることができます。私たちの罪のために、主イエスは「刺し貫かれ」、「打ち砕かれ」、「懲らしめ」られ、「神の手にかかり」、十字架で裁かれたのでした(8節)。
申命記24章16節にこうあります。「父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる」。人は、自分の罪のゆえに死に定められるのであって、たとえ親子でも身代わりは駄目だと神は定めておられます。
しかし、神は、私たちを救うために、ご自分の定められた掟を越えて、御子を身代わりにするという決断をしてくださいました。ですから、これはもはや掟や律法に基づくのではない、ただ一方的な神の恵みによる出来事なのです。私たちの身代わりとして献げられた主イエス・キリストを深く黙想しましょう。