コヘレト 7章
善のみ行って罪を犯さないような人間は
この地上にはいない。
人の言うことをいちいち気にするな。
そうすれば、僕があなたを呪っても
聞き流していられる。
あなた自身も何度となく他人を呪ったことを
あなたの心はよく知っているはずだ。 コヘレトの言葉 7章20節~22節
小さな一歩のために諭し、励まし合うために
詩編 1編
いかに幸いなことか
神に逆らう者の計らいに従って歩まず
罪ある者の道にとどまらず
傲慢な者と共に座らず
主の教えを愛し
その教えを昼も夜も口ずさむ人。 詩編 1編1節~2節
神の戒めが確実に私たちを変え始めている
「あなたがたは、わたしが種々の試練に遭ったとき、絶えずわたしと一緒に踏みとどまってくれた」(ルカ22章28節)。この主イエスの言葉が、わたしは大好きです。主はそのように弟子たちを温かく見つめ、愛されまし…
1ヨハネ 1章
自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。 ヨハネの手紙一 1章8節~9節
神の恵み深い厳しさは、わたしを日々変えてゆく
神の戒めはわたしに罪の自覚を与えてくれます。わたしは祈りに疎く、いつも心を焦らせてばかりいますが、「神を愛しなさい」という戒めが、その愚かしさに気づかせてくれます。わたしは隣人に冷たい心を向け、その…
フィリピ 3章
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。 フィリピの信徒への手紙 3章13節~14節
いよいよ神のかたちへと新しくされ
神が創造された時間のなかを私たちは歩んでいます。時は現在から過去へと瞬く間にゆき過ぎていきます。しかし、過去の記憶がいつまでも私たちの心に重く留まることがあります。それが良き記憶であれ、辛い記憶であ…
申命記 6章
聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、…これを語り聞かせなさい。 申命記 6章4節~7節
神の家族とされている恵み
今月は4回の日曜日にわたって、家庭・家族について聖書から考えてみましょう。 聖書は、神と民との関係を、家族が持つ様々なイメージで喩えます。例えば、主はイスラエルを花嫁として見ておられます(エレ2章2節、…
詩編 116編
主はわたしに報いてくださった。
わたしはどのように答えようか。
救いの杯を上げて主の御名を呼び
満願の献げ物を主にささげよう
主の民すべての見守る前で。 詩編 116編12節~14節
祈りは感謝から
私たちは、毎日を当たり前のように生きています。食べること、着ること、住む家、働きや学びの場所…。それらのものが与えられているときには、何の疑いもなく、その中に暮らしています。「なぜきょうも食べるものが…
1ヨハネ 5章
何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります。 ヨハネの手紙一 5章14節~15節
主なる神に祈ろう
「求めなさい。そうすれば、与えられる」(マタ7章7節)と主イエスは語られます。この御言葉に励まされて、私たちは神に祈り求めます。 しかしきょうの個所では「何事でも神の御心に適うことを…願うなら」と語られ…
詩編 34編
主は助けを求める人の叫びを聞き
苦難から常に彼らを助け出される。
主は打ち砕かれた心に近くいまし
悔いる霊を救ってくださる。 詩編 34編18節~19節
遜りをもって祈ろう
私たちは、何かを祈り求めるとき、必死になり、祈りが聞かれることを願ってしまいます。しかしこのとき、私たちにとって神とはどのような存在なのでしょうか。もしかすれば、祈りを聞いてくださる神を、召使いの如…
ダニエル 9章
神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、わたしたちの荒廃と、御名をもって呼ばれる都の荒廃とを御覧ください。わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます。 ダニエル書 9章18節
確信して祈ろう
「どうせ祈っても聞かれることはない」と諦めてしまうことはありませんか。それは、生きて働いておられる主なる神の存在を疑っているか、神の存在は認めても、わたしの祈りなど聞いてもらえていないと、自分に対す…
マタイ 6章
「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」 マタイによる福音書 6章31節、33節
主に委ねて祈ろう
私たちは、毎日の生活の中で、さまざまなことを思い悩み、苦しみ、嘆きつつ歩んでいます。しかし主イエスは、「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな」、「何よりもまず、神の…
ルカ 11章
イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。」 ルカによる福音書 11章1節~2節
祈りの基礎
スポーツ選手は、初めから一流の選手になることはありません。自分勝手に練習したとしても、あまり上達することはありません。オリンピックを目指す人も、最初は基礎を教えてもらって、基本の練習を繰り返します。…
エフェソ 2章
従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり…神の住まいとなるのです。 エフェソの信徒への手紙 2章19節~22節
神の家の価値観
初代教会の信者は、神との関係、互いとの新しい関係を家族概念の用語で表現することを好みました。神は、子たちに命を与え、教育し、憐れみを示し、配慮する、信頼できる親・家族の長として描かれます(2コリ6章18…
マタイ 6章
「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」 マタイによる福音書 6章6節
「われらの」~祈りは孤独か?
「奥まった自分の部屋に入って戸を閉め」とあります。ひとりで祈るのです。そういう祈りは一見孤独に思えます。実際に、孤独をしみじみと覚えながら祈っている方もおられるかもしれません。しかし、そうではありま…
ヨハネ 10章
「羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」 ヨハネによる福音書 10章16節
「われらの」~一つの群れの祈り
「主の祈り」は、孤独なわたしだけの祈りではありません。主イエスの羊は「一人の羊飼い(主イエス)に導かれ、一つの群れになる」。「主の祈り」は、たとえ一人で祈っていたとしても一人の羊飼い(主イエス)に導…
ヨハネ 14章
「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」 ヨハネによる福音書 14章7節
父を知って祈る
私たちに教えられた「主の祈り」は、むなしい偶像の神にささげるお題目のように、早口で「となえる」ものではありません。主イエスによって示された父なる神に、聖霊によって導かれて祈るものです。 とは言え、天の…
ローマ 8章
この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。 ローマの信徒への手紙 8章15節
お父ちゃん
長期出張から帰ったとき、子どもたちは「お父ちゃん」と呼んで、喜んで迎えてくれます。しかし、わたしはお土産を買って帰りません。なぜなら、子どもたちは、次第に「お父ちゃん」が帰ってきたことより、お土産を…
エレミヤ 23章
天をも地をも、わたしは満たしているではないかと
主は言われる。 エレミヤ書 23章24節
天にまします
「天」とはどこでしょう。天高き雲の上でしょうか。大空の高きところでしょうか。はたまた、大宇宙の果てる先にあるのでしょうか。「天の雲」(マタ24章30節他)や「天から雨が降り」(ヤコ5章18節)などは大空の高…
ヨハネ 14章
「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」 ヨハネによる福音書 14章14節
主よ、憐れみたまえ
主イエスは「わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう」と言われ、「われらの父よ」(口語訳:マタ6章9節)と呼びかけるようにと教えてくださいました。 『ハイデルベルク』問121の答には「…
1ペトロ 1章
あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。 ペトロの手紙一 1章23節
朽ちない種から生まれた者の共同体として
今週、私たちは、地上の家族とキリストの体という二つの家に属していることについて考えましょう。 神の新しい家(オイコス)としての教会は、根底から新しくされた者の共同体として、神の主導で創造されました。神…
マタイ 6章
「だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。』」 マタイによる福音書 6章9節
創造主なる神にならって
主の祈りは、マタイによる福音書とルカによる福音書で主イエスが教えられますが、マタイによる福音書では祈りの乱れを正すようにして教えられます。その乱れとは第一に「偽善者のようであってはならない」と、人の…
サムエル上 15章
サムエルはサウルに言った。「あなたと一緒に帰ることはできない。あなたが主の言葉を退けたから、主はあなたをイスラエルの王位から退けたられたのだ。」 サムエル記上 15章26節
神を正しく知り
イスラエルの初代の王となったサウルに、主なる神の命令が預言者サムエルを通して与えられました。「アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ」。しかし、サウルはその神の言葉を退けて自分勝手に考え、最上のも…
ルカ 1章
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう」 ルカによる福音書 1章46節~48節
わたしに与えてくださった光栄を覚えて
天使から主イエスを身ごもったことを知らされたマリアは、エリサベトを訪れます。エリサベトも神の御業として身ごもったことを聞かされたからです。エリサベトは親類ではありましたが、社会的立場はずいぶん違って…
エレミヤ 32章
「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われるからだ。」 エレミヤ書 32章14節~15節
絶望の淵に立たされたときでも
このときエレミヤは拘留されていました。またエルサレムもバビロン軍によって包囲されていました。人が見るなら、エレミヤもエルサレムももうすぐ終わってしまう存在で、希望はありません。しかし神は、そのような…
マタイ 5章
「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」 マタイによる福音書 5章16節
わたしの生活のすべてを通して
主イエスは、がんばって世の光となりなさい、ではなく、あなたは現に、世の光である、と言ってくださいます。なんと光栄なことでしょう。しかし同時に、それほど大層な者ではありませんと尻込みしてしまうかもしれ…
詩編 115編
わたしたちではなく、主よ
わたしたちではなく
あなたの御名こそ、栄え輝きますように
あなたの慈しみとまことによって。
わたしたちこそ、主をたたえよう
今も、そしてとこしえに。
ハレルヤ。 詩編 115編1節、18節
今も、そしてとこしえに
この詩編の詩人は、周囲の敵意とあざけりの中で、危機的状況にありました。しかし、自分たちの知恵や力による打開や回復ではなく、ただ神の慈しみとまことによって、神の御名があがめられることを祈り願います。な…
コロサイ 3章
主を畏れつつ、真心を込めて従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対するように、心から行いなさい。あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。 コロサイの信徒への手紙 3章22節~24節
新しく生まれた者の家族としての生き方
新約聖書によれば、キリスト者の家庭は一つの新しい気質で一致しています。つまり神への愛、忠誠心、従順、賛美と感謝です。また、お互いへの愛、忠誠心、敬意、憐れみと助け合いの精神です。主イエスも長男として…
コロサイ 6章
「だから、こう祈りなさい。
『天におられるわたしたちの父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。』」 コロサイの信徒への手紙 6章9節~10節
御国が来ますように
「主の祈り」の第二の願いは「御国が来ますように」です。この「御国」という言葉は「神の国」のことです。これは場所のことではなく、「神の支配」を意味します。ですから、「御国が来ますように」という祈りは「…
コロサイ 6章
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」 コロサイの信徒への手紙 6章33節
神の国と神の義
主イエスは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」とおっしゃいました。「何よりもまず」という表現を通して、私たちの生活の優先順位を改め、自己中心から神中心になるようにと教えられたのです。神中心で…
マタイ 16章
「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」 マタイによる福音書 16章18節
神の国と教会
主イエスはペトロに「わたしの教会」を建てると宣言されました。教会はペトロ個人のものでも、また、その後継者のものでもなく、主イエス・キリストのものです。主イエス・キリストを中心としてささげられる礼拝こ…
ローマ 8章
被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていること…被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること…を、心の中でうめきながら待ち望んでいます。 ローマの信徒への手紙 8章22節~23節
神の国と救いの希望
パウロは私たちの目を将来の望みに向けさせながら今の苦しみに耐えるように励ましています(ロマ8章18節)。私たちは日々、罪を犯す苦しみ、病気の苦しみ、人間関係の苦しみなどを味わいます。これらの苦しみは、神…
神の戒めは私たちの心に罪を罪と刻み続けます。しかし、私たちは与えられた神の教えに深い感銘を受けながら、そのことで瞬間的に、自動的に心が全く清く変えられるということはありません。私たちは神の戒めを聞く…