「われらの」~祈りは孤独か? | マタイによる福音書 6章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

マタイによる福音書 6章

「だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 6章6節

「われらの」~祈りは孤独か?

「奥まった自分の部屋に入って戸を閉め」とあります。ひとりで祈るのです。そういう祈りは一見孤独に思えます。実際に、孤独をしみじみと覚えながら祈っている方もおられるかもしれません。しかし、そうではありません。主イエスは「われらの父よ」と呼びかけるようにと教えられました(口語訳:マタ6章9節)。

私たちは、時には苦悩の淵に追いやられ、時には打ちのめされて、祈りの言葉さえ失ってしまうことがあります。そのようなときこそ、主イエスは、私たちに「われらの父よ」と呼びかけるようにとおっしゃいます。そして、私たちの必要のすべてを「主の祈り」の中に詰め込んでくださったのです。

ですから、たとえ祈りの言葉を失ったときでも、むしろ、祈りの言葉を失ったときにこそ、主イエスが教えてくださった「主の祈り」を祈って、言葉にさえできない思いを主イエスに打ち明けましょう。

「主の祈り」は、ほかの誰かの祈りではなく、まさにあなたの祈りです。しかし、それだけではなく、あなたをひとりぼっちにはしない、「われら」の祈りなのです。

加藤 親平