フィリピの信徒への手紙 3章
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 フィリピの信徒への手紙 3章13節~14節
いよいよ神のかたちへと新しくされ
柏木 貴志(岡山教会)
なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 フィリピの信徒への手紙 3章13節~14節
柏木 貴志(岡山教会)
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神が創造された時間のなかを私たちは歩んでいます。時は現在から過去へと瞬く間にゆき過ぎていきます。しかし、過去の記憶がいつまでも私たちの心に重く留まることがあります。それが良き記憶であれ、辛い記憶であれ、今を生きようとする私たちの足を引っ張ることがあります。わたしの尊敬する人は、聖書に触れ、その言葉に打たれながらも、過去の記憶に縛られ、「今さら自分が神を信じるのはおこがましい」と語りました。
しかし、パウロは「前のものに全身を向けつつ」と語ります。それは今を生きることへの促しです。神はいかなる者にも未来を見つめることをおゆるしになります。『ハイデルベルク』は教えます。神の戒めが私たちに語られるのは、「わたしたちが絶えず励み、神に聖霊の恵みを請うようになり、そうしてわたしたちがこの生涯の後に、完成という目標に達する時まで、次第次第に、いよいよ神のかたちへと新しくされてゆくためです」(問115答後半)。
聖霊によって、前を見られたならば、その時、過去の記憶も私たちの内で姿を変えるでしょう。次第次第に、神は私たちを変えてくださいます。