マルコ 14章
「この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。」 マルコによる福音書 14章8節
高価な香油
マルコ 15章
そこへ、アレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。 マルコによる福音書 15章21節
キレネ人シモンの出会い
処刑のためゴルゴタまで歩まれる主イエス。すでに多くの体力を消耗し、十字架を負う力を失っていた主イエスの姿を見たローマ兵は突然、彼の負っていた十字架を通りすがりの一人の男に負わせようとしました。当時の…
マルコ 16章
「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」 マルコによる福音書 16章7節
最初の出会いへと
マルコによる福音書は、主イエスの復活物語を、空になった墓の出来事を記すことで終えています。そのとき弟子たちに伝えられたメッセージは、復活された主イエスが弟子たちより先にガリラヤに行かれ、そこで彼らを…
イザヤ 9章
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。 イザヤ書 9章5節
男の子誕生の予告
この箇所は、変えようのない過去や、確実に起こる未来を意味する完了形で書き記されています。前後関係からここは未来のことを言っています。 この男の子が誰のことなのかで議論があり、王の即位式の歌だと考える人…
アモス 3章
まことに、主なる神はその定められたことを
僕なる預言者に示さずには
何事もなされない。
獅子がほえる
誰が恐れずにいられよう。
主なる神が語られる
誰が預言せずにいられようか。 アモス書 3章7節~8節
預言の確かさ
主なる神は、諸国民に対して大変厳しい裁きの言葉をお語りになりました。イスラエルの人びとは、選ばれた民ですから、特に厳しく主から罰せられます。 ここで預言者は自分と主との関係について語ります。主は、預言…
アモス 4章
見よ、神は山々を造り
風を創造し
その計画を人に告げ
暗闇を変えて曙とし
地の聖なる高台を踏み越えられる。
その御名は万軍の神なる主。 アモス書 4章13節
その御名は万軍の神なる主
主なる神は、すべてのものをお造りになった全能者です。山々も、風も、闇も光も神の御手によるものです。この万物の創造主は、万軍の神または万軍の主、とも呼ばれるお方です。「万軍の神なる主」とは、天体も含む…
アモス 5章
災いだ、主の日を待ち望む者は。主の日はお前たちにとって何か。それは闇であって、光ではない。 アモス書 5章18節
主の日は私たちにとって何か
きょうの聖句では、主の日は神の裁きの日、罪に対する審判が下される恐るべき日です。それは闇であって光ではないと言われます。 旧約時代、主の民であるイスラエルは、主が自分たちの神なのだから、必ず敵から守っ…
詩編 119編(1)
いかに幸いなことでしょうまったき道を踏み、主の律法に歩む人は。いかに幸いなことでしょう主の定めを守り心を尽くしてそれを尋ね求める人は。 詩編 119編1節~2節
まったき道を歩む幸い
詩編の中で最も長い119編は、(アルファベットによる詩)と記されています。日本語ではイロハ歌です。 そこでは「いかに幸いなことでしょう」で始まっています。そしてその幸いは主の律法(トーラー)、に生きるこ…
詩編 119編(2)
主よ、あなたの掟に従う道を示してください。
最後までそれを守らせてください。
あなたの律法を理解させ、保たせてください。
わたしは心を尽くしてそれを守ります。 詩編 119編33節~34節
あなたの掟に従う道
詩人は、「あなたの掟に従う道を示してください」と願います。さらに「あなたの律法を理解させ、保たせてください。わたしは心を尽くしてそれを守ります」と心を込めて祈っています。そこには詩人の深い思いが込め…
詩編 119編(3)
卑しめられたのはわたしのために良いことでした。
わたしはあなたの掟を学ぶようになりました。
あなたの口から出る律法はわたしにとって
幾千の金銀にまさる恵みです。 詩編 119編71節~72節
苦難の意味
どんな苦難も、その苦難そのものだけが、人を苦しませるのではありません。実はその苦難に意味が見いだせないことこそが苦しい、ということがあります。たとえ苦しくても、意味が見いだせるなら、耐えることができ…
イザヤ 11章
エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。 イザヤ書 11章1節~2節
エッサイの根株から
今、この瞬間にも世界の各地に紛争があります。争いのない平和がいつ来るのだろうかと絶望的な気分になることもしばしばです。人間の知恵だけで平和の構築を果たそうとすると、どうしても限界を感じてしまいます。 …
アモス 6章
主なる神は御自分を指して誓われる。
万軍の神なる主は言われる。
わたしはヤコブの誇る神殿を忌み嫌い
その城郭を憎む。
わたしは都とその中のすべてのものを敵に渡す。 アモス書 6章8節
主なる神が誓われる
主なる神が誓いをなさるときは、ご自身よりも偉大な者がいないので、ご自身にかけて誓われます(ヘブ6章13節)。主は誓われることを、確実に実行されます。 ここで主は北イスラエル王国をヤコブと呼び、その都にあ…
アモス 7章
ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「イスラエルの家の真ん中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。」 アモス書 7章10節
神の言葉の前にへりくだる
ベテルは旧約時代の重要な聖所でした。エルサレムの北、国境を超えたすぐのところにあります。イスラエルが南北王国に分裂してからは、北イスラエル王国の聖所として、エルサレムに対抗するようになっていました。 …
アモス 8章
主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
「わたしは、彼らが行ったすべてのことを
いつまでも忘れない。」 アモス書 8章7節
主なる神の記憶の中に
主なる神は、イスラエルの人びとの行いが不正に満ちていることをご覧になって、厳しい裁きを語り続けておられます。人びとは、神を軽んじて商売を優先し、日常生活の中には偽りとごまかしと無慈悲が溢れていました…
詩編 119編(4)
あなたの御言葉は、わたしの道の光
わたしの歩みを照らす灯。 詩編 119編105節
ひと足、またひと足
私たちは、今、混迷と不安の時代を生きています。幼い子どもたちから年老いた人に至るまで、これからどう生きていけばよいのかわからなくなっています。深い闇、悩みの中を歩んでいます。 しかし、そのような私たち…
詩編 119編(5)
わたしは口を大きく開き、渇望しています。
あなたの戒めを慕い求めます。
わたしの目は川のように涙を流しています。
人々があなたの律法を守らないからです。 詩編 119編131節、136節
健やかな弱さ
神と、その教えが軽んじられている、それが、この詩編を取り巻いている世界です(136節)。しかし、その愚かしい世界の中にも、神のために涙を流す、そのような健やかさを持つ人びとがいます。しかも、そこで流され…
詩編 119編(6)
主よ、わたしの叫びが御前に届きますように。
御言葉をあるがままに理解させてください。
わたしの嘆願が御前に達しますように。
仰せのとおりにわたしを助け出してください。 詩編 119編169節~170節
わたしの聖書
ふと目にとまった本の1節。「聖書は読むものではなく、味わうものです。神様から私たちへの愛の手紙なのですから」。 わたしが今、手にしている聖書は、神学校に入学する前、教会のご婦人に図書カードを頂き、新し…
ミカ 5章
エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る。
彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。 ミカ書 5:1
小さな町ベツレヘム
ミカは、ベツレヘムにイスラエルを治める新しい王が誕生すると預言しています。人びとはこの預言を時代が変わっても、状況が変わっても、まだかまだかと待ち続けました。 エルサレムの南方8キロメートルにあるこの…
アモス 9章
見よ、その日が来れば、と主は言われる。
耕す者は、刈り入れる者に続き
ぶどうを踏む者は、種蒔く者に続く。
山々はぶどうの汁を滴らせ
すべての丘は溶けて流れる。 アモス書 9章13節
山々はぶどうの汁を滴らせる
主の日は闇であって光ではないと、主は語っておられました。その日を待ち望む者は災いだ、と(5章18節)。 しかし、9章の「その日」(複数形)は神がイスラエルの廃墟を復興してくださる時です。収穫の後には再び畑…
マタイ 1章
主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 マタイによる福音書 1章20節~21節
恐れず迎え入れなさい
ヨセフは何を恐れたのでしょうか。それは「マリアを迎え入れ」ることでした。ヨセフはマリアから身を引こうとしました。自分はもう関われないと思ったのでしょう。 ところが神は天使を彼のもとに送って、「マリアを…
ルカ 2章(1)
彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」 ルカによる福音書 2章6節~7節
飼い葉桶に眠る御子
ローマ帝国が行った人口調査は、住んでいる町で行うのが一般的であったようですが、ユダヤでは部族や氏族が重要であったため、先祖の町で登録することになったようです。命令する側は簡単ですが、身重の者、子ども…
2コリント 8章
あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。 コリントの信徒への手紙二 8章9節
主の貧しさによって
主イエスの降誕について、まずは物質的な貧しさを先に考えますが、比較すべきは、天で本来持っておられた栄光との差です。地上という場に限定されることも、嬰児の姿であることも貧しくなることであり、へりくだり…
ルカ 2章(2)
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」 ルカによる福音書 2章10節~11説
あなたがたのために
ベツレヘム近郊の羊飼いに告げられた言葉をよく見て考えてみましょう。誰にとってこのニュースは喜ばしいのでしょうか。おめでとうと言われているのは誰なのでしょうか。「民全体」は厳密にはイスラエルの民のこと…
マタイ 2章
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 マタイによる福音書 2章11節
引き寄せられた人びと
「占星術の学者たち」と訳されている言葉は、ペルシアあたりの身分の高い学者を意味しています。占星術だけではなく、医術や薬品、学問に秀でていた学者たちです。天体の運行にも精通していて、見たことのない不思…
ヨハネ 1章
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 ヨハネによる福音書 1章14節
肉となられた言
神は、人の目には異常と見える仕方で介入なさることがあります。それが奇跡です。本日の御言葉が語っていることは、奇跡中の奇跡である「言の受肉」です。神が人の体を取られたことです。 ヨハネは、神話的に受け取…
ハバクク 1章
主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに
いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。
わたしが、あなたに「不法」と訴えているのに
あなたは助けてくださらない。
どうして、あなたはわたしに災いを見させ
労苦に目を留めさせられるのか。 ハバクク書 1章2節~3節
あなたはいつまで
大国は、情け容赦なく、周辺の弱小国を食い物にします。イスラエルの権力者たちの民への態度も同様でした。いたるところに暴虐と不法があり、争い、いさかいがはびこり、…。 けれども、ハバククにとって最も苦しく…
ハバクク 2章
2章 ハバクク書 2章2節~4節
信仰によって生きる
「書き記せ」。ハバククへの神の答えは、民全体が銘記すべき答えとして与えられます。それは同時に、民への問いかけでした。「見よ、高慢な者を」とあります。それが誰なのか分かりません。誰もが自分への警告とす…
ハバクク 3章
その威厳は天を覆い
威光は地に満ちる。
威光の輝きは日の光のようであり
そのきらめきは御手から射し出でる。
御力はその中に隠されている。 ハバクク書 3章3節~4節
神の威光の輝き
現代に生きる私たちは、世界の出来事を、偶然の産物、あるいは、人間のわざとみなす考え方に影響されています。しかしハバククは、歴史を神のわざとして受け止めています。さらに、地上の混乱のうちにも神の到来を…
サムエル上 7章
サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。 サムエル記上 7章12節
今まで、主は我々を助けてくださった
ベンチに座って沈む夕陽を眺めながら一日を振り返る。神の恵みを思い、感謝する。幼子のように素朴な、心からの信頼をもって一層深く主に拠り頼む。このような平安な時こそ、信仰者の特権。 一日の恵みを思うことは…
1テサロニケ 5章
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。 テサロニケの信徒への手紙一 5章16節~18節
喜び、祈り、感謝
主は確かに私たちを愛してくださっている。私たちが生きるということは、この愛に支えられて歩むこと。そこに喜びがある。どんな時にも、何によっても、凋むことのない喜びが。主によって救われ、主が共にいてくだ…
ヨハネ 14章
14章 ヨハネによる福音書 14章27節、31節
さあ、立て。ここから出かけよう
十字架を間近にして弟子たちに向かい主イエスは言われました。「さあ、立て。ここから出かけよう」。その歩み行く先には十字架があります。しかし、さらにその先には復活があります。苦難の先には栄光があります。 …
「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか」。高価な香油を主イエスの頭に注いだ一人の女性の行為に対しての人びとの反応は冷ややかで、批判的なものでした。彼女の行為の本当の価値を知っておられたのは、主イエス…