まったき道を歩む幸い | 詩編 119編(1)

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詩編 119編(1)

いかに幸いなことでしょうまったき道を踏み、主の律法に歩む人は。いかに幸いなことでしょう主の定めを守り心を尽くしてそれを尋ね求める人は。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 119編1節~2節

まったき道を歩む幸い

詩編の中で最も長い119編は、(アルファベットによる詩)と記されています。日本語ではイロハ歌です。

そこでは「いかに幸いなことでしょう」で始まっています。そしてその幸いは主の律法(トーラー)、に生きることであると言います。果たして人はどのように生きるべきでしょうか。誰もがまったき道を歩みたいと願います。けれども、「正しい者はいない。一人もいない」のです(ロマ3章10節)。そのとおり、私たちは弱く、誰も律法を完全に守ることはできません。むしろ、ここで求められていることは、「心を尽くして」歩むことです。これは二心なく、思いを一つにして主にお仕えすることを目指すものです。

詩編119編で「定め」、「命令」、「掟」、「道」などが繰り返されるのは、まさに御言葉と共に生きるところに私たちの幸いがあるからです。律法を確実に全うすることが、幸いを得る条件ではありません。私たちは、今日も御言葉が与えられていることを、なによりも主に感謝し、祈りつつ、願いつつ歩むようにと招かれています(7、8節)。そこにこそまったき道を歩む幸いが開かれていくからです。

風間 義信(仙台教会)