リジョイス聖書日課 2020年1月

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2020年1月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』PDF版 2月号配信中

月刊誌 『リジョイス』PDF版 2月号配信中

月刊誌 『リジョイス』PDF版 申込随時受付中。主な内容: 絵と御言葉、近現代教会の祈り 聖書日課、いのちのパン、こひつじラムリィとその仲間たち、アウグスティヌスの古くて新しい物語、カルヴィニズムる人たち、わたしの街のこの教会、改革派の青少年教育、寄り添って生きる、など。

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  2月分配信中

月刊誌 『リジョイス』聖書日課 音声データ 一括  2月分配信中

耳で聴く月刊誌 『リジョイス』聖書日課の1ヶ月分の音声データ。ダウンロードしてCD-Rなどに保存できます。

わたしの街のこの教会 Vol.37 三郷教会

わたしの街のこの教会 Vol.37 三郷教会

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2020年1月は埼玉県三郷市にある「三郷教会」です。

カルヴィニズムる人たち 1月

カルヴィニズムる人たち 1月

2020年1月の「カルヴィニズムる人たち」は大屋伝道所 会員の岩花玉男さんです。「但馬牛」という江戸時代から歴史のある和牛の肉牛農家を営んでおられます。

マタイ 11章28-30節

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 マタイによる福音書 11章28節

主の招きから始まる

新しい一年の歩みが始まりました。新年への思いはさまざまです。計画を立てながら、期待に胸をふくらませている方もおられるでしょう。一方で、仕事やさまざまな課題を抱えて悩んでおられる方もいらっしゃるでしょ…

詩編 103編2-4節

わたしの魂よ、主をたたえよ。
主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。
主はおまえの罪をことごとく赦し
病をすべて癒し
命を墓から贖いだしてくださる。 詩編 103編2-4節

主の恵みを数える

詩人は、魂の奥底から、主なる神への賛美を献げています。罪の赦しに始まり、病の癒し、そして命の贖いという、人の歩みを覆う暗闇を照らす、神の恵みへの感謝を歌います。詩人は、与えられた恵みの一つひとつを思…

ルカ 12章22-32節

「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。…ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。 ルカによる福音書 12章22節、31章32節

小さな群れよ、恐れるな

教会には、福音を伝えるという使命が与えられています。しかし、私たちの信仰の歩みは決して容易なものではありません。とりわけ小さな群れは、御国の前進の兆しが見えないときに、大きな不安を抱えることがありま…

箴言 19章

人の心には多くの計らいがある。
主の御旨のみが実現する。 箴言 19章21節

主の御心が実現する

私たちは、日々の生活の中で自分の願いを実現しようとします。来週には映画を見に行きたいというようなことです。しかし、そういうようなことだけでなく、もっと大きな人生設計のようなものもあります。それらのこ…

マタイ 3章13-17節

イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。 マタイによる福音書 3章16節-17節

主イエス、洗礼を受ける

あなたは洗礼を受けた時のことを覚えているでしょうか。水の滴りとともに、罪の赦された喜びのこみ上げてきたあの日のことです。 主イエスも洗礼をお受けになりました。主イエスは固辞する洗礼者ヨハネを、「今は、…

箴言 20章

悪に報いたい、と言ってはならない。
主に望みをおけ、主があなたを救ってくださる。 箴言 20章22節

主に望みをおけ

誰かから悪口を言われたり、危害を加えられたとき、私たちの心は、ムカムカしたり、その相手にも何らかの仕返しをしないと気持ちが収まらないというような思いになります。それ自体が、私たちの心が罪に染まってい…

箴言 21章

戦いの日のために馬が備えられるが
救いは主による。 箴言 21章31節

まことの平和をもたらしてくださる神

人類はこれまで幾度となく戦いを繰り返してきました。その度に新しい兵器が開発され、今日では、核兵器などの大量破壊兵器が作られ続けて止まるところを知りません。軍備を増強し、その抑止力によって平和を生み出…

箴言 22章

若者を歩むべき道の初めに教育せよ。
年老いてもそこからそれることがないであろう。 箴言 22章6節

初めの教育の大切さ

わたしに子どもが生まれたころ、ソニーの創業者である井深大氏が書かれた『幼稚園では遅すぎる』という本を読んだことがあります。「乳幼児期の子育ての大切さ」や「母親の影響力」などについて述べているものです…

箴言 23章

わが子よ、聞き従って知恵を得よ。
あなたの心が道をまっすぐに進むようにせよ。 箴言 23章19節

聞き従って知恵を得よ

詩編111編には、「主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く」と言われ(10節)、箴言1章には、「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る」と言…

箴言 24章

神に従う人は七度倒れても起き上がる。
神に逆らう者は災難に遭えばつまずく。 箴言 24章16節

七転び八起き

神に従う人は倒れないということではありません。神を信じていても、災害に遭うこともあれば病気になることもあります。時として思わぬ試練に遭遇することもあることでしょう。周りの人びとから理解されないで、辛…

箴言 25章

あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。
渇いているなら水を飲ませよ。
こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。
そして主があなたに報いられる。 箴言 25章21節-22節

あなたを憎む者になすべきこと

これは、ローマの信徒への手紙12章20節に引用されている御言葉です。「あなたの敵を愛せよ」(マタ5章44節)という教えは、主イエスが初めて語られたことではなく、すでに旧約聖書の教えの中にあったものです。レビ…

ヨハネ 1章29-42節

イエスは、「来なさい、そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後4時ごろのことである。 ヨハネによる福音書 1章39節

世の罪を取り除く神の小羊

二人の弟子を伴っていたヨハネは、歩いておられる主イエスに目を留めて、「見よ、神の小羊だ」と言いました(36節)。これを聞いた弟子たちは、即座に主イエスに従う決心をしました。主イエスは振り返って、彼らに…

マタイ 25章

「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」 マタイによる福音書 25章21節

忠実な良い僕だ

私たちは神から、それぞれ賜物を与えられています。いろいろな才能、能力、そして何よりも神を信じる信仰、それらはすべて神からの賜物です。 それらは、決して小さいものではありません。一番金額の少ない人が預か…

マタイ 26章

ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。 マタイによる福音書 26章75節

つまずきの中で知る主の恵み

主イエスはペトロに、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と予告なさいました。これに対してペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決し…

マタイ 27章

三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 マタイによる福音書 27章46節

私たちが見捨てられないために

主イエスが十字架にかけられたとき、周囲の人びとは、「他人は救ったのに、自分は救えない。…今すぐ十字架から降りるがいい」と言って主を侮辱しました。主イエスは十字架から降りようと思えばそうすることがおでき…

マタイ 28章

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 マタイによる福音書 28章20節

復活の主が共に、終わりまで

主イエスは、ご自分につまずいた弟子たちをそのままにしてはおかれませんでした。約束どおり復活の後、ガリラヤで彼らに会ってくださり、新しい使命をお与えになったのです。 十一人の弟子たち、その中には三度も主…

エゼキエル 26章

「人の子よ、ティルスがエルサレムを嘲る。『ああ、諸国民の門であったお前は打ち破られ、わたしのものになった。わたしは富み、お前は廃れる。』」 エゼキエル書 26章2節

打算の罪に対する裁き

エゼキエル書26章から28章には、主にティルスの滅亡に関する預言の言葉が記されています。 フェニキアの主要都市であったティルスは本土から離れた岩の島を本拠とし、良い港を持つ商業の中心地であり、難攻不落の要…

エゼキエル 27章

お前の富、商品、物品、船乗り、水夫、水漏れを繕う者、物品を交換する者、船上のすべての戦士、すべての乗組員たちは、お前が滅びる日に海の真ん中に沈む。 エゼキエル書 27章27節

豪華商船の沈没

ここでは、ティルスが豪華な商船に見立てられ、その繁栄ぶりが描かれています(4~10節)。諸国の富と人材が流れ込み、ティルスは繁栄の絶頂にありました。その姿は自ら「美しさの極み」と称するほどでした。世界中…

マタイ 4章12-25節

「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダンのかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 マタイによる福音書 4章15節-16節

天の国の伝道はガリラヤで始まる

洗礼者ヨハネが捕らえられ、主イエスをめぐる状況は風雲急を告げます。主イエスはガリラヤのカファルナウムに行かれました。ガリラヤは外国に支配された歴史があり、その文化・宗教の影響が残っていました。そのた…

エゼキエル 28章

「お前は自分を殺す者の前でもなお、『わたしは神だ』と言い張るのか。お前は人であって、神ではなく、切り倒す者の手にある。」 エゼキエル書 28章9節

高慢を裁かれる神

ここには「わたしは神だ」(2節)と高ぶる都市国家ティルスの君主への裁きの言葉が語られています(1~19節)。ティルスは世俗的な知恵によって繁栄を築き、富を増し加えていきました。しかしその過程において不正…

エゼキエル 29章

「その日、わたしはイスラエルの家のために一つの角を生えさせ、彼らの間にあってその口を開かせる。そのとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。」 エゼキエル書 29章21節

真に頼るべき方

29~32章にかけて、エジプトに対する預言が語られていきますが、29章1~16節はバビロン軍のエルサレム包囲の頃のものです。 エジプトはユダに対して反乱をそそのかしますが、バビロン軍が侵攻してきたときにはユダ…

エゼキエル 30章

「主なる神はこう言われる。
泣き叫べ、ああ、その日は災いだ。
その日は近い。主の日は近い。
それは密雲の日、諸国民の裁きの時である。
剣がエジプトに臨み、戦慄がクシュを襲う。」 エゼキエル書 30章2節-4節

剣を奪い与える方

ここでは、主が力強い御手を振るわれる「主の日」に行われるエジプトへの裁きが預言されています(1節~19節)。主なる神は、高慢(6、18節)のゆえに、また偶像崇拝(13節)のゆえにエジプトを打たれます。そして…

エゼキエル 31章

「大枝には空のすべての鳥が巣を作り
若枝の下では野のすべての獣が子を産み
多くの国民が皆、その木陰に住んだ。」 エゼキエル書 31章6節

鳥が巣を作る木

ここでエジプトは比類なく美しい巨木にたとえられています。その木は他の木々よりも高くそびえ、すべての鳥がその枝に巣を作り、すべての獣、多くの国民がその木陰に宿りました。しかしそのような繁栄もファラオ自…

エゼキエル 32章

「陰府の中から、最も強い勇士たちが
エジプトとその同盟者たちに語る
割礼のない者、剣で殺された者たちは
下ってきてそこに横たわる、と。」 エゼキエル書 32章21節

割礼なき者の滅び

ここにはエルサレム陥落の知らせが伝えられてから間もなくエゼキエルに啓示された、エジプトに対する神の審判の預言が記されています。 前半はエジプトの王ファラオに対する嘆きの歌です。ここでファラオは殺される…

エゼキエル 33章

わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。 エゼキエル書 33章11節

今、悔い改めることの大切さ

エルサレムの陥落という決定的な出来事を経験し、あまりにも大きな罪を犯してしまったために滅びるしかないと絶望する捕囚の民。彼らに対して、主なる神はエゼキエルを通して励ましの言葉をかけてくださいました。…

マタイ 5章1-12節

「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。

平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。」 マタイによる福音書 5章3節、9節

山上の説教

主イエスは山に登って、九つの幸いを説かれました。それらは、弟子たちだけではなく、天の国の民とされたすべての者に約束された幸いです。 「幸い」は「心の貧しい人々」、「悲しむ人々」、そして「義に飢え渇く人…

フィリピ 1章1-11節

わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。 フィリピの信徒への手紙 1章3節-4節

感謝・喜び・祈り

私たちは、自分の身がいつどうなるかわからない状況に置かれるとき、まず誰の顔を思い浮かべるでしょうか。愛する家族や、お世話になった人たち、大切な時間を共に過ごした兄弟姉妹ではないでしょうか。パウロは、…

フィリピ 1章12-30節

この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。 フィリピの信徒への手紙 1章23節-24節

幸せの板挟み

「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(21節)。これは、牢獄に入れられ、何らかの判決が下されるのを待っているパウロの告白です。 自分がもし釈放されて、さらに生きることが許…

フィリピ 2章1-18節

何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。 フィリピの信徒への手紙 2章3節-5節

キリストのへりくだり

一致して歩むようにというパウロの言葉から、フィリピの教会の現実が見えてきます。何らかの争いや不和によって、思いを一つにできないでいたのです。 教会はキリストの体です。一人ひとりは各器官です。一つの体の…

フィリピ 2章19-30節

だから、主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして、彼のような人々を敬いなさい。わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭ったのです。 フィリピの信徒への手紙 2章29節-30節

憐れみの器

「そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています」(4章18節)。エパフロディトはフィリピ教会からの支援物資を、牢獄にいるパウロに送り届けるために遣わされた人です。おそらく彼は、そのま…

フィリピ 1章

主がユダと共におられたので、ユダは山地を獲得した。だが、平野の住民は鉄の戦車を持っていたので、これを追い出すことはできなかった。 フィリピの信徒への手紙 1章19節

熱くも冷たくもない信仰

リーダーのヨシュアが死に、約束の土地への態度が変わります。士師記の1章は映画で言うと予告編のように、これからのことを圧縮して示す序文です。 さて土地を獲得するために、最初に立ち上がったユダ族はエルサレ…