リジョイス聖書日課 2019年4月

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2019年4月の聖書日課

月刊誌 『リジョイス』PDF版 4月号配信中

月刊誌 『リジョイス』PDF版 4月号配信中

月刊誌 『リジョイス』PDF版 申込随時受付中。主な内容: 恵みの文字、中世教会の祈り 聖書日課、いのちのパン、アウグスティヌスの古くて新しい物語、、カルヴィニズムる人たち、わたしの街のこの教会、外国教会関係委員会通信、寄り添って生きる、など。

花と木と旅人のはなし

花と木と旅人のはなし

荒れた原っぱにぽつんと一本残った赤い花。おばあさんのいなくなった庭に咲き誇る白い花。自分をみすぼらしいと思う松ぼっくり。むずかしい顔のかしの木おじさん。それらのそばを通り過ぎて行く旅人との出会いを通して、自分の価値を発見する物語。

申命記 18章

あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない。 申命記 18章13節~14節

全き者

18章では礼拝に関わる事が扱われます。礼拝を司る祭司とレビ人をどのように支えるのか、異教の習慣に従う信仰の態度が戒められます。さらに、預言者が立てられることと、その預言者は会衆によって見分けられなけれ…

申命記 19章

裁判人は詳しく調査し、もしその証人が偽証人であり、同胞に対して偽証したということになれば、彼が同胞に対してたくらんだ事を彼自身に報い、あなたの中から悪を取り除かねばならない。 申命記 19章18節~19節

平和な生活

18章では礼拝に関わる事が扱われます。礼拝を司る祭司とレビ人をどのように支えるのか、異教の習慣に従う信仰の態度が戒められます。さらに、預言者が立てられることと、その預言者は会衆によって見分けられなけれ…

申命記 20章

ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人は、あなたの神、主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさねばならない。それは、彼らがその神々に行ってきた、あらゆるいとうべき行為をあなたたちに教えてそれを行わせ、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯すことのないためである。 申命記 20章17節~18節

神の民であるために

15節~18節に、嗣業の地に住んでいた民族を皆殺しにせよという命令が記されています。このことにとまどいや躓きを覚えられる方は多いと思います。それは現代の私たちの倫理観からすれば当然のことで、これをそのま…

申命記 21-25章

あなたは袋に大小二つの重りを入れておいてはならない。あなたの家に大小二つの升を置いてはならない。あなたが全く正確な重りと全く正確な升を使うならば、あなたの神、主が与えられる土地で長く生きることができる… 申命記 25章13節~15節

神の升で量る

申命記は、約束の地カナン入国を前にした神の民のために、主がモーセに命じられた教えの解き明かしです。定住生活で起こり得るさまざまな問題―家庭問題、殺人、同族や弱者への配慮、主の集会など―について、実に具…

申命記 26-28章

主もまた、今日、あなたに誓約された。「既に約束したとおり、あなたは宝の民となり、すべての戒めを守るであろう。造ったあらゆる国民にはるかにまさるものとし、あなたに賛美と名声と誉れを与え、既に約束したとおり、あなたをあなたの神、主の聖なる民にする」と。 申命記 26章18節~19節

宝の民…既にあった約束

きょうの聖句は、「主を自分の神とし、その道に従って歩み、掟と戒めと法を守り、御声に聞き従います」(17節)という民の誓約に応答してなされた神の誓約のように見えます。けれども、「既に約束したとおり」とい…

申命記 29-30章

あなたの神、主のもとに立ち帰り、わたしが今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる。 申命記 30章2節~3節

回復の予告

「申命記」という書名は、漢訳聖書から採用されたもので、「申」には、繰り返して話すという意味があります。これまで何度も語られてきた祝福と呪いは、単なる成功と失敗、富と貧困という事柄ではありません。命か…

ヨハネ 1-8節

そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を1リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。 ヨハネによる福音書 12章3節

ナルドの香油

主イエスが十字架にかかる時が近づいていました。その主イエスの足に、マリアが、当時の一般的な年収に値するほど高価な「ナルドの香油」を塗りました。 このとき共に食事の席にいたラザロは、マリアの兄弟であり、…

申命記 31章

「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、わたしが彼らに誓った土地にイスラエルの人々を導き入れる者である。わたしはいつもあなたと共にいる。」 申命記 31章23節

いつもあなたと共にいる

申命記において、契約の継承は、大切なテーマの一つです。神との契約は、モーセとその世代で完了するものではなく、次の世代へと継承されていくものです。モーセの死が近づいた今、ヨシュアの任命は、そのためにも…

申命記 32章

「あなたはそれゆえ、わたしがイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」 申命記 32章52節

神の慈しみと厳しさ

死を目前にしたモーセは、主に導かれ、ネボ山から約束の地カナンを見渡します。主はモーセに仰せになりました。「あなたたちは、…メリバの泉で、イスラエルの人々の中でわたしに背き、イスラエルの人々の間でわたし…

申命記 33章

この言葉を彼はユダのために言った。
主よ、ユダの声に耳を傾け
その民のもとに彼を来させてください。
御手をもって彼のために戦い
苦しめる者からの助けとなってください。 申命記 33章7節

神の約束の歴史

この章にはモーセが生涯を終える前に、イスラエルの人々に与えた祝福の言葉が書かれています。しかし、約束の地カナンに入ると、神の民は土着の偶像を拝み、自分たちをエジプトから救い出された大いなる神を捨てて…

申命記 34章

ヌンの子ヨシュアは知恵の霊に満ちていた。モーセが彼の上に手を置いたからである。イスラエルの人々は彼に聞き従い、主がモーセに命じられたとおり行った。 申命記 34章9節

信仰の目を上げて

ヨシュアの元の名は、ホシェア(彼は救った)でしたが、モーセが、12人の偵察隊を約束の地カナンに遣わした時に、ヨシュア(主は救い)と改名しました(民13章)。偵察隊のうち10人は、町々が城壁に囲まれ、住民が…

哀歌 1章

道行く人よ、心して
目を留めよ、よく見よ。
これほどの痛みがあったろうか。
わたしを責めるこの痛み
主がついに怒ってわたしを懲らす
この痛みほどの。 哀歌 1章12節

ああ、なにゆえ

「(ああ、)なにゆえ」という嘆きで『哀歌』は始まります。旧約聖書は、罪を重ねて絶望的になっていく、イスラエルの民の歴史です。エジプトの奴隷状態から解放されたのに、バビロンの奴隷状態になっていく悲惨な…

哀歌 2章

おとめエルサレムよ
あなたを何にたとえ、何の証しとしよう。
おとめシオンよ
あなたを何になぞらえて慰めよう。
海のように深い痛手を負ったあなたを
誰が癒せよう。 哀歌 2章13節

なにゆえ、主は憤り

主の憤りの原因は、はっきりしていました。神のみを礼拝する場所が偽りの神々で埋め尽くされたからです。 約束の地に入る前に、王に関する規定で告げられていました。「王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはなら…

ルカ 1-49節

「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」 ルカによる福音書 23章41節

悪いことをしていない方の死

主イエスの裁判において、ピラトは「この男に何の罪も見出せない」と言います。そのとおり、主イエスに罪はありませんでした。しかし、人びとは殺人を犯したバラバを釈放し、主イエスの十字架刑を要求します。ピラ…

マタイ 1-11節

そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ダビデの子にホサナ。
主の名によって来られる方に、祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」 マタイによる福音書 21章9節

王なるキリスト

キリストは王としてこの世界にお生まれになりました。クリスマスの物語はこのお方が真の王であることを伝えています。王であるキリストは十字架にかけられることを良しとされ、エルサレムにお入りになります。 王が…

マタイ 26章14-25節

イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。」 マタイによる福音書 26章23節~24節

裏切り

キリストは十字架への道を歩まれました。苦難への道のりです。その苦しみがよりはっきりしたのは弟子たちの裏切りが起こったときでした。 弟子たちはキリストにとってもっとも身近な存在です。生活を共にし、教えを…

マタイ 26章26-30節

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」 マタイによる福音書 26章26節

最後の晩餐

十字架前夜の食事の席は、過越の祭りをお祝いする食事です。出エジプトの出来事に先立ち、神はイスラエルの民に約束を与えられました。それは、鴨居と柱に印をつけたイスラエルの家には災いをくださないという約束…

マタイ 26章36-46節

それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て…言われた。ペトロおよびゼベダイの子2人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」 マタイによる福音書 26章36節~38節

目を覚ましていなさい

十字架が迫っています。キリストは人としてのあらゆる苦しみを体験されました。キリストは苦しみが大きいときにこそ、懸命にお祈りになりました。 ゲツセマネでキリストはおひとりで祈ります。しかし、その祈りは弟…

マタイ 27章45-56節

さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 マタイによる福音書 27章45節~46節

なぜわたしをお見捨てに

人びとの嘲りを受けながら、キリストは十字架におかかりになりました。神を信じる一人一人の罪を背負い、父なる神の御心に従いながら。その姿は壮絶なものです。キリストは十字架上で叫ばれました。「エリ、エリ、…

マタイ 27章57-61節

ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。 マタイによる福音書 27章59節~60節

葬り

キリストは十字架上で息をひきとられました。その遺体を引き取りに来た人がいます。アリマタヤのヨセフです。彼は総督であるピラトのところに向かい、遺体の引き取りを願い出ました。 キリストは十字架にかけられま…

ルカ 24章13-49節

そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」 ルカによる福音書 24章25節~26節

苦しみから栄光へ

主イエスが復活された日の夕方のこと、2人の弟子たちはエルサレムを離れてエマオという村へ歩いていました。彼らにとって、主イエスに望みをかけていた日々はすでに過去の出来事となっていました。 彼らは、主イエ…

哀歌 3章

主は、決して
あなたをいつまでも捨て置かれはしない。
主の慈しみは深く
懲らしめても、また憐れんでくださる。
人の子らを苦しめ悩ますことがあっても
それが御心なのではない。 哀歌 3章31節~33節

主の慈しみは深く

「わたしは主の怒りの杖に打たれて苦しみを知った者」と歌って始まる3章は、それでも主に向かっていく者の希望に満ちています。これも契約の恵みでした。 「わたしがあなたの前に置いた祝福と呪い、これらのことが…

哀歌 4章

主の憤りは極まり
主は燃える怒りを注がれた。
シオンに火は燃え上がり
都の礎までもなめ尽くした。
わたしたちを苦しめる敵が
エルサレムの城門から入るなどと
地上の王の誰が
この世に住む誰が、信じえたであろう。 哀歌 4章11節~12節

主の憤りは極まり

バビロン捕囚で受けた神からの呪いは激しく、想像を絶するものがありました。「山犬ですら乳を与えて子を養うというのに、わが民の娘は残酷になり、荒れ野の駝鳥のようにふるまう」(3節)。「憐れみ深い女の手が自…

哀歌 5章

主よ、あなたはとこしえにいまし
代々に続く御座にいます方。
なぜ、いつまでもわたしたちを忘れ
果てしなく見捨てておかれるのですか。
主よ、御もとに立ち帰らせてください
わたしたちは立ち帰ります。
わたしたちの日々を新しくして
昔のようにしてください。 哀歌 5章19節~21節

主よ、御もとに

「あなたは激しく憤り、わたしたちをまったく見捨てられました」とあり、哀歌の最後は絶望で終わっているように思えます(22節)。けれども、哀歌は祈りに始まり祈りに終わっています。 契約の恵みに頼るほかすべて…

1コリント 1章

わたしは、あなたがたがキリスト・イエスによって神の恵みを受けたことについて、いつもわたしの神に感謝しています。あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。 コリントの信徒への手紙一 1章4節~5節

恵みを数えて

わたしは家族で、たまにレストランに出かけます。もしそこでジュースを注文して、運ばれてきたジュースがコップの10分の1ぐらいしか入っていなかったら、どう思うでしょう。「どうなっているの?何でこれだけしか入…

1コリント 2章

自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。 コリントの信徒への手紙一 2章14節

自然の人は受け入れない

私事ですが、わたしはかつて無神論者としてヨーロッパの街で暮らしていました。その街は、裏路地を百メートルも進むと教会があらわれる、そのようなところでした。 そして、わたしが最も嫌いな場所は、その教会でし…

1コリント 3章

植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。 コリントの信徒への手紙一 3章8節

植える者と水を注ぐ者とは一つ

「うちの牧師、頑張っているんだけど、もう少し○○だったらいいのに」と、心に思うことはないでしょうか。お気持ちはわかりますが、神の国では、牧師もまた人間であり、限りのある存在です。 きょうの聖句は、興味深…

ヨハネ 20章19-31節

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 ヨハネによる福音書 20章29節

信じる幸い

主イエスは十字架にかけられ、死んでしまったはずでした。しかし、死んだはずの主イエスが鍵のかかっていた家の中に入り、弟子たちの真ん中に立っています。復活の主イエスは平和の挨拶をされ、穴の空いたご自身の…

1コリント 4章

あなたがたは既に満足し、既に大金持ちになっており、わたしたちを抜きにして、勝手に王様になっています。 コリントの信徒への手紙一 4章8節

私たちは王なのか

ナポレオン・ボナパルトは、「わたしの辞書には不可能という文字はない」と語気を強めました。はたして真実でしょうか。これは、私たち人間を、神とし「王」とする考え方ではないかと思います。 はたして人に不可能…

1コリント 5章

わたしは以前手紙で、みだらな者と交際してはいけないと書きましたが、その意味は、この世のみだらな者…、また、人の物を奪う者や偶像を礼拝する者たちと一切つきあってはならない、ということではありません。 コリントの信徒への手紙一 5章9節~10節

つきあって歩む

わたしは、前任地で真言宗の住職と交わりを持たせていただいていました。わたしがお寺を訪ねることもあれば、向こうがこちらを訪ねてくださることもありました。 幾度か食事をする中で、〈宗教と街の人びと〉との…