ああ、なにゆえ | 哀歌 1章

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哀歌 1章

道行く人よ、心して
目を留めよ、よく見よ。
これほどの痛みがあったろうか。
わたしを責めるこの痛み
主がついに怒ってわたしを懲らす
この痛みほどの。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 哀歌 1章12節

ああ、なにゆえ

「(ああ、)なにゆえ」という嘆きで『哀歌』は始まります。旧約聖書は、罪を重ねて絶望的になっていく、イスラエルの民の歴史です。エジプトの奴隷状態から解放されたのに、バビロンの奴隷状態になっていく悲惨な結末を迎えました。

しかし、悲惨な結末の原因は、すでに出エジプトの時に告げられていました。「もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、今日わたしが命じるすべての戒めと掟を忠実に守らないならば、これらの呪いはことごとくあなたに臨み、実現するであろう」(申28章15節)。

『哀歌』の著者も、そのことは知っていました。「シオンの背きは甚だしかった」(5節)。「エルサレムは罪に罪を重ね、笑いものになった」(8節)。「主は正しい。わたしが主の口に背いたのだ」(18節)。

それでも嘆きの詩人は主に期待します。「御覧ください、主よ、この苦しみを。胸は裂けんばかり、心は乱れています」(20節)。その嘆きと期待は、ゲツセマネから十字架に向かって行かれた主イエスのようです。「わが神、わが神、なにゆえ」と。

熊田 雄二