平和な生活 | 申命記 19章

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申命記 19章

裁判人は詳しく調査し、もしその証人が偽証人であり、同胞に対して偽証したということになれば、彼が同胞に対してたくらんだ事を彼自身に報い、あなたの中から悪を取り除かねばならない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記 19章18節~19節

平和な生活

18章では礼拝に関わる事が扱われます。礼拝を司る祭司とレビ人をどのように支えるのか、異教の習慣に従う信仰の態度が戒められます。さらに、預言者が立てられることと、その預言者は会衆によって見分けられなければならないことが示されています。

その上で特に目を留めたいのは、「全き者であれ」という言葉です。しかし、人間が全き者、完全な者であることなどできるのでしょうか。

この言葉には「主と共にあって」という但し書きがついています。祭司とレビ人が献げもので養われ、預言者が会衆によって見分けられ真実なものとされるということ全体を支えるのが、この「主と共にある」状態であり、また同時にこれこそが目標です。言い換えますと「主と共にある」ために一切の制度があり、その実現こそ「全き者」であることなのです。

ですから、「全き者であれ」とは私たちが精進、努力して倫理的、道徳的に完全な人間になるということではありません。本当に全き方は主のみです。それゆえ「主と共にある」ときにこそ、私たちは全き者とされます。

杉山 昌樹(上福岡教会)