聖書を開こう

逃げ遅れてはならないもの(マタイによる福音書24:15-28)

放送日
2026年3月19日(木)
お話し
山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:逃げ遅れてはならないもの(マタイによる福音書24:15-28)


 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 大きな災害が起きたとき、テレビやラジオでよくこんな呼びかけを耳にします。

 「直ちに避難してください」

 しかし実際には、その言葉を聞いても、「まだ大丈夫だろう」「もう少し様子を見よう」と考えてしまう人が少なくありません。そして、そのわずかなためらいが命取りになることがあります。逃げるべき時に逃げなかったために、逃げ遅れてしまいます。

命を守るためには、危険を正しく見極めること、そして決断を先延ばしにしないことが大切です。今日の聖書の箇所で、イエス・キリストは弟子たちに、まさにそのような切迫した言葉を語っておられます。しかもそれは単なるたとえ話ではありません。実際に起こる危機についての警告でした。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 マタイによる福音書24章15節~28節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら-読者は悟れ-、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。あなたがたには前もって言っておく。

 今お読みした話のきっかけは、エルサレムの神殿でのことでした。弟子たちは神殿の壮大な建物を見て感嘆していました。当時の神殿は、ユダヤの人々にとって信仰の中心であり、民族の誇りでもありました。しかしイエスは、その神殿について驚くべきことを言われます。

 「一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」。

 それはエルサレムの神殿が完全に崩壊することを予告した言葉です。

 これを聞いた弟子たちは大きな衝撃を受けました。そしてオリーブ山でイエスに尋ねます。「そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか」。こうしてイエスは、終わりの時について長い教えを語り始められます。

 その流れの中で今日の箇所が語られます。イエスはおっしゃいました。

「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら、-読者は悟れ-そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。」

 ここでイエスは旧約聖書のダニエル書の言葉を引用しておられます。「憎むべき破壊者」という言葉です。これは神聖な場所を汚し、破壊するものを指す言葉です。多くの聖書学者は、この言葉が後に起こるエルサレムの陥落を指していると考えています。実際、紀元70年にローマ軍がエルサレムを包囲し、町は破壊され、神殿も焼き払われてしまいました。ユダヤの人々にとって、それはまさに世界が崩れるような出来事でした。

 そのときイエスはおっしゃいます。

 「屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。」

 つまり、一刻を争う避難です。荷物を取りに戻る時間もないほどの危機が迫るというのです。

 ここで私たちは、ある大切なことに気づかされます。人は危機の中でも、つい大切な物を取りに戻ろうとしてしまうということです。しかし、そのわずかな執着が、逃げ遅れを生むことがあります。

 イエスはさらに、人々の苦しみにも目を向けておられます。

 「その日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ」と言われます。また「あなたがたの逃げるのが冬や安息日にならないように祈りなさい」とも言われます。逃げることを命じながら、同時に逃げにくい立場の人々への深い同情の眼差しを向けておられます。そこに一人でも多くの命を救いたいという神の痛切な愛が伝わってきます。

 さらにイエスは、もう一つの重要な警告を与えられます。それは、偽りの救い主への警戒です。

 「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。」と言われます。苦しい時代になると、人は救いを求めてさまざまな声に耳を傾けます。希望を与えてくれる言葉を信じたくなります。しかしその中には、人を惑わす声もあります。

 イエスはおっしゃいます。偽キリストや偽預言者が現れ、大きなしるしや不思議を行って、人々を惑わそうとする。しかし、本当にキリストが来られるとき、それは隠れて起こる出来事ではありません。稲妻が東から西へひらめくように、だれの目にも明らかな出来事になるのだと言われます。

 では、この言葉は現代を生きる私たちにとって、どんな意味があるのでしょうか。

 私たちはローマ軍から逃げる必要はありません。エルサレムの山に向かって走るわけでもありません。しかし、魂を迷わせる危険は、今も私たちの周りにあります。世の中には多くの声があります。「これが人生の答えだ」「これが本当の救いだ」と語る声です。しかし、それらのすべてが真実とは限りません。

 また、私たちはしばしば「手放せないもの」のために、決断を先延ばしにしてしまいます。家や財産、地位や評価、あるいは自分の考えやプライドかもしれません。しかしイエスは、「上着を取りに戻ってはならない」と言われました。命より大切なものはないということです。

 信仰の世界でも同じことが言えます。神の言葉に従う決断を先延ばしにするとき、人は気づかないうちに、本当に大切なものを見失ってしまうことがあります。

 災害の避難では、「逃げ遅れ」が命取りになります。信仰の世界でも同じです。偽りの声にとどまり続けるなら、本当の救いから遠ざかってしまいます。

 だからこそイエスは、あらかじめ警告してくださいました。惑わされてはならない。偽りの声に引き寄せられてはならない。そして、神が与えてくださる救いから逃げ遅れてはいけません。

 もう一つ覚えておきたいことがあります。それは、イエスがこの警告を語られたのは、人々を恐れさせるためではないということです。むしろ、人々を守るためでした。危険が来ることを前もって知らせてくださるのは、そこから逃れる道を備えるためです。

 実際、歴史の中で初代のキリスト者たちは、このイエスの言葉を覚えていました。そしてエルサレムが危機に直面したとき、多くの人々が町を離れて避難したと言われています。イエスの言葉を信じた人々は、その警告によって守られたのです。

 私たちは日々忙しく生活していると、永遠のことや魂のことを後回しにしてしまいがちです。しかし聖書は繰り返し語ります。神の言葉に耳を傾ける時は「いつか」ではなく「今」なのだと。

 もし心のどこかで、神の言葉が気になっているなら、その思いを大切にしていただきたいと思います。神は遠くから呼びかけているのではありません。私たち一人一人に近づき、救いの道を示してくださっています。

 逃げ遅れてはならないもの。それは、神が備えてくださった救いです。その救いを見失わないように、今日も聖書の言葉に耳を傾けながら歩んでいきましょう。

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