あさのことば

自分の命を献げるために来た

放送日
2016年1月21日(木)
お話し
浅野正紀(江古田教会牧師)

浅野正紀(江古田教会牧師)

メッセージ: 自分の命を献げるために来た

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。江古田教会の浅野正紀です。今日も主イエスの言葉に共に耳を傾けましょう。
 主イエスの弟子であるヤコブとヨハネの兄弟二人が、ある時、主イエスにこうお願いしました。
「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」

 この時、二人の弟子たちは、主イエスがまもなく華々しく勝利して王国を打ち立てると信じていたようです。二人の弟子たちは、その時には、自分たちを高い位に着かせてほしいと大胆にもお願いしました。
 しかし、主イエスが受ける栄光とは、決して華々しいものではありませんでした。この時、主イエスは、十字架にむかう歩みをしていました。主イエスが受ける栄光とは、十字架にかかるということです。

 弟子たちは、主イエスが十字架の死に向かって歩んでいることを全く理解していませんでした。主イエスは、私たちにまことの命を与えるために、十字架の死に向かって歩んでくださいます。それほどまで徹底的に私たちに仕えてくださいます。
 
 ですから、マルコによる福音書10章43節から45節で、理解しない弟子たちに、こう命じられました。
「あなたがたの中で偉くなりたい者は…すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」

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