聖書を開こう

よい羊飼い(ヨハネ10:11-13)

放送日
2014年11月6日(木)
お話し
山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: よい羊飼い(ヨハネ10:11-13)

 ご機嫌いかがですか。キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 今から60数年前、死海のほとりにある洞窟で不思議な巻物が見つかりました。これが後に世界的な発見として知られる死海文書の発見です。この巻物の発見には実はこんな逸話が知られています。
 1947年の春のこと、死海の北西部に広がる丘陵地帯で遊牧生活を送るターミレ族の家畜の群れから、一匹の子ヤギが迷い出てしまいました。そのヤギを探すためにムハンマド・エッ・ディーブという羊飼いの青年が、断崖の洞窟に石を投げ込んだところ、何かが割れる音がしたというのです。翌日洞窟へ入ってみると、つぼに収められたたくさんの巻物が発見されたのでした。これが死海写本の発見にまつわるお話です。
 死海写本はその後研究が進められて、ユダヤ教やキリスト教についてさまざまな光を投げかける一大発見となったわけですが、その発見をもたらしたきっかけが、一人の若い羊飼いであったと言うのが興味をそそります。それも、暇にまかせて石を投げて見たら、たまたま洞窟のつぼに当たったというのではありません。たった一匹のいなくなったヤギを捜し求めて、あんな辺鄙な断崖までやって来たというのですから、これは驚きです。イエス・キリストの時代から2千年ほど経っても、やはり羊飼いは一匹の家畜のためにあちらこちらと探し回るものだということをこのエピソードは物語っています。死海のほとりのこの洞窟は、写真で見ても分かるのですが、あまり一人で行きたいと思うような場所ではありません。人を寄せ付けない場所であったから、2千年以上もの間、誰にも発見されなかったのでしょう。けれども、羊飼いにとっては、いなくなった羊やヤギのために、それも、たった一匹の家畜のためにでも、そこまですることは、すこしもわずらわしいとは感じられないのでしょう。

 さて、きょうお読みする聖書の個所にも、よい羊飼いのお話が出てきます。イエス・キリストは、ご自分こそがよい羊飼いであるとおっしゃっています。

 それでは早速今日の聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヨハネによる福音書 10章11節〜13節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。狼は羊を奪い、また追い散らす。彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。

 指導的な立場にある人、リーダーシップを取る人を羊飼いにたとえると言うのは旧約聖書の中にも、繰り返し出てくる表現です。
 悪い王様として知られているアハブ王がイスラエルを支配している時代を、預言者のミカヤはこんな風に表現しました。

 「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」

 指導者が指導者としての役割を忠実に果たさないとき、民は路頭に迷います。確かに、国の繁栄という観点から見れば、アハブ王の時代は国力のあった時代でした。軍事的にも優れた時代でした。象牙に飾られた宮殿も首都のサマリアに建てられました。それでも、その時代の人々の状態は羊飼いのいない羊のように山々をさまよっていると言われているのです。

 アハブの時代からざっと850年たったイエス・キリストの時代に、ご自分の民の様子をご覧になったキリストは「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」とマタイによる福音書にしるされています(マタイ9:36)。

 イエス・キリストが「わたしは良い羊飼いである」とおっしゃるとき、こうした飼う者がいない羊たちの弱り果てた姿が、この言葉の背景にはあります。傷つき、弱り果てた人々がいる一方で、ただ自分たちの身の安全のことしか関心がないような指導者たちが、好きなように生きている、この現実を主はご覧になったのです。

 このイエス・キリストのお言葉の背景には、偽の羊飼い、雇われ人でしかない羊飼いに対する厳しい批判が含まれています。このことはヨハネ福音書10章全体にいつも横たわっています。雇い人でしかない羊飼いは群れに対する責任がありません。いえ、責任はあるのですが、最後は無責任な態度で終わらせることも出来てしまうのです。羊に何かが起こったとき、最後に損をするのは自分たちではない、という無責任さがどうしても残るのです。

 けれども、イエス・キリストのお言葉には、ただ偽羊飼いたちに対する批判や風刺だけに終わらない力があります。「あなたたちのやり方は間違っている」と批判するだけなら、これは誰にでもできることかもしれません。イエス・キリストの言葉には単なる批判を超えた力があります。

 ご自分こそが良い羊飼いである、とイエス・キリストはそうおっしゃいます。この言葉こそ人を真に慰め、励ます力があります。どうしてでしょうか。それは、この言葉には、わたしこそが最後まで責任をとるという含みがあるからです。

 路頭に迷い、行く道を失い、傷つき倒れている羊を、必ず見つけて助け出す、とイエス・キリストは断言なさっているからです。死海のほとりに暮らしていたあの羊飼いの青年が、いなくなった一匹の家畜を捜し求めて断崖の洞窟までやってきたように、イエス・キリストはご自分の羊のために命さえも捨て、一匹の羊も損なわれることがないように守ってくださいます。

 イエス・キリストはわたしたちを傷つけ、命を損なうような一切のことからわたしたちを守ってくださるお方です。どんなに力強いと見える人にも、導き手となるこのお方が必要です。そのことは聖書が繰り返し教えている真理です。この良い羊飼いのもとで生きるとき、豊かな命の中でわたしたちは生きることができるのです。

 あなたが倒れたとき、あなたが人生に躓いたとき、あなたが人生の道を失って弱り果てるとき、意地悪で卑怯で打算的な人たちから苦しめられて傷ついているとき、そして、あなた自身が自力でそこから抜け出せなくなったとき、誰があなたを最後まで責任をもって助けてくださるのでしょうか。

 イエス・キリストが、あなたの良い羊飼いとなって、あなたのためにご自分の命を捨ててでも、あなたを救い出してくださいます。事実、ご自分の民のために、キリストは十字架の上で身代わりとなって命をささげてくださったのです。

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